2日目 4月3日(日) 横浜 出港14時 日出5:26 日没18:04
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
曇り9.0℃35-27N 139-39E北6m/s少し --5km5km0周5km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(F)ランチ(L)ディナー
-セイルアウェイ・パーティープロダクションショーカジュアル和定食洋食フレンチ

夢にまで見た飛鳥Uワールドクルーズの当日がやって来ました。が前の晩は何やかやと最終準備をするうちに就寝が3時近くになってしまい、睡眠時間は4時間程です。別のフネの乗船記(2010年5月「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」横浜発着上海・韓国クルーズ)を書いたり、持って行くPCの環境設定等をするうちにそんなことになってしまいました。結局乗船記は最終日の分だけアップロード出来ず、中途半端な状態で3ヶ月も放置することになってしまいました。

乗船受付は11時〜12時半なので、10時に家を出る事を目標に7時に目覚ましをかけましたが、興奮のためか夫が6時過ぎに起きた時に気付いて結局そのまま起床しました。前の晩(というか明け方)にネットワークドライブに置いてある全データを船に持ち込む外付けHDDにコピーしようとしたら、13時間という途方もない時間が出て、なす術もなくそのまま寝たのですが、朝起きたら残り時間と出発時刻までの時間が微妙な感じだったので、途中でキャンセルをかけて、必要なものだけ手動コピーに切り替えました。

7時半過ぎから5kmほどジョギングをして、戻って朝食を摂り最後の仕上げをしました。10時15分には出られる状態になったので、なかなか優秀です。この後夫がしばししばらく留守にする家との別れを惜しんだので、結局出発は10時40分頃になりました。が、横浜までは1時間ぐらいなので、問題ないでしょう。いつも車だと渋滞やら事故やらをやたら気にして、用意が遅いと怒られその後のリカバリーに苦労するのですが、電車で行く今日は余裕の夫でした。
自宅前でタクシーをつかまて、東京駅から11時2分発の東海道線で横浜、そこからまたタクシーをつかまえて大桟橋に行きました。行き先を告げると運転手さんは「飛鳥ですか」と聞いていたので、「そうです」「世界一周なんですってね」「えぇ…」「さっきも一組送ったんですよ」とのこと。ただしそれは9時過ぎに大桟橋着だったとかで、随分早く行く人もいるものだと感心しました(写真は横浜駅のコンコース)。
結局大桟橋には11時45分に到着し、まずは邪魔なスーツケースとキャリーバッグを預けました。そしてすぐに外に出て、本船の写真を撮影に行きました。
4月に入ったと言うのに、この日は薄曇りで気温は10℃に満たない寒い日でした。ちょっと残念ですが、これから3ヶ月を過ごすフネを前にテンションは上がりっ放しです。
一通り写真を撮影した後、12時近くなったので乗船手続きをすることにしました。大桟橋を奥の方に進んで行くと、テーブルがセットされた喫茶スペースがあってびっくりしました。ここで見送りの人と過ごすことが出来るようです。わが家では日曜日だと言うのに母も妹たちも興味を示さなかったので、盛り上がりに欠ける出発です。
このスペースを通り抜け、郵船トラベルのブースの所で受付を済ませ、乗船カードとケースを受け取って出国手続きに行きました。CIQ(customs(税関)、immigration(出入国審査)、quarantine(検疫))のスペースは写真撮影が禁止されているので写真はありませんが、ほとんどが既に乗船済みなのか全然並びませんでした。
出国のスタンプを押してもらい、書類的には日本を出ると、パスポートはすぐに船側に回収されました。船の方に向かいます。
世界一周クルーズにこの先乗船することはもうないかもしれない、と立ち止まっては自分の視界と同じ画像を何枚も撮影しつつ、ボーディングブリッジからいよいよ乗船です。
だたでさえ撮影で遅れるのに、「これから世界一周に出かけるフネに乗り込むこの瞬間が一番幸せなんじゃないだろうか」等と一人感慨に浸っている間に、我関せずと夫はスタスタ先に行きさっさと乗船してしまいました。

12時10分に乗船して部屋に行くと、事前に送った段ボール4箱とアルコール、それからあふれ出るであろう衣類を収納するクローゼット用収納ケース×4(組立前)が無事届いていました。これにスーツケースとキャリーバッグ分を収納しなくてはなりません。
それからバスアメニティー類をチェック。男性用ヘアトニックやアフターシェイブ、女性にはローション、乳液、クレンジング等が完備しています。また、シャンプー、コンディショナー、ボディソープも大きなサイスが置いてあります。
存在を忘れていましたが、冷蔵庫上のこのスペースはかなりの収納力がありそうです。全体的なイメージはまだ沸きませんが、計算上はすべての荷物が収納出来る筈です。

ですが、朝から働きづめでかなり空腹になっていたため、昼食に行くことにしました。直前まで夫は和食か洋食ビュッフェかで悩んでいましたが、結局洋食ビュッフェにしました。11Fの「リドカフェ」には、近くの階段で2階分上がってから外に出て、プールの脇を通って行きました。

久しぶりに飛鳥Uでのビュッフェですが、なかなか美味しいと感じました。スモークサーモンやらサラミやらをつい取ってしまいます。

13時過ぎに部屋に戻る時、大桟橋の方を見ると旅行会社の「行ってらっしゃい」バナーが沢山並んでいるのが見えました。
セールアウェイ・パーティは13時45分からなので、それまでの間と思い収納作業を開始しました。まず収納ケースを組み立てようと、手持ち無沙汰の夫に頼んだところ、全く要領を得ません。別のことをやろうと思ったのですが結局1つめを一緒に組み立てることになりました。男性はこういう組み立て物が得意なイメージがあったのですが見事に覆してくれました。何はともあれ、この収納ケースはなかなかいいカンジです。
と気付くと13時45分を過ぎていたため、慌てて7F「プロムナードデッキ」に下りて行きました。先ほどより大分人が増えていました。山下公園側のBバースには「春休みゆったり横浜ワンナイトクルーズ」から戻った「ぱしふぃっく・びいなす」がいつの間にか着岸していました。
出港は東日本大震災の関係で鳴り物を自粛しており、大桟橋側もブラスバンドの音楽がありませんでした。例年なら「錨を揚げて」等のメロディによる見送りがあるのでちょっと寂しいです。風が強くテープも風に流されてしまい、惜しい一投はありましたが桟橋には届きませんでした。本船からは数本だけ届いたようでした。
本船は予定通り14時にすべての舫いを解いて、バウスラスターによりするすると離岸し出港しました。母港横浜を3ヶ月間留守にする、飛鳥Uの汽笛が鳴り響きました。

「2011年4月3日飛鳥U世界一周クルーズ横浜出港の汽笛」 469KB
それにしても、こうして乗船記を書くようになってからはあらゆる情報を集めようとするので、出港時には機器のセットでかなり一杯一杯になります。部屋にはGPSデータロガーをセットし、デッキに下りてからはICレコーダーで汽笛を録音し、もちろん随時写真を撮影して、更に無線受信機までモニタリングしています。出港中はずっと本船とタグボート「東京丸」の交信を聞いていたのですが、「にっぽん丸」とは雰囲気が違うのが面白い所です。
しばらくそのまま離れていく大桟橋や横浜の景色を眺めていましたが、寒くなったので今度は「パームコート」に行くことにしました。「プロムナードデッキ」は大分人が少なくなりました。
11F「パームコート」に上がると、丁度横浜ベイブリッジをくぐるところだったのでまたしばらく外に出ていました。この場所は真正面から風がくるので真冬なみに寒かったです。

しばらくすると左に日本郵船のばら積み船が見えました。よく見るとわき腹に傷があり、サルベージ船が寄り添っていました。右舷船首の傷も痛々しい本船「CORAL RING」は、その後調べたら3月11日の震災時に荷役中の小名浜港で岸壁と接触してしまったことがわかりました。ユニバーサル造船舞鶴事業所2006年出来のパナマックスです。

今度は東京湾では普段見かけない商船三井フェリーのさんふらわあが東京港に向かうのが見えました。震災で大洗港が使えないため、臨時で東京と苫小牧を結んでいます。このフネは苫小牧を前日の13時半に出港し、東京に16時着予定の2便で、船影から「さんふらわあ だいせつ」か「さんふらわあ しれとこ」のどちらかであることまではわかりましたが、船名までは見えませんでした。
この後、部屋に戻って15時ぐらいからまた片付け作業を再開しました。収納ケースを組み立てたらあとはどんどん入れていくしかありません。
15時37分頃、久里浜港沖通過。港の目の前に立つこのマンションの一室をどうしようもなく欲しくなったのも遠い思い出です。2008年春先のことでしたが、あの時血迷って購入に走っていたら、世界一周クルーズの費用を捻出するのは無理だったでしょう。
16時過ぎ、川崎近海汽船のRORO船「げんかい」と行き交いました。今造1997年出来で、通常は苫小牧−日立那珂を結んでいますが、震災の被害で日立那珂港を使えないため川崎港にやって来ています。
時々窓の外のフネを見たりして気が散りながら、17時過ぎには大体片付きました。ダンボール箱は帰りにまた使うため、一度つぶしてベッド下に滑り込ませました。
クローゼットはほぼ満杯(針金ハンガー要)靴は置き切れず重なった状態でベッド下は目論み通り完璧
最後にITコーナーをセットアップしました。ここで夫にブログの原稿を打ってもらうことにします。お湯呑みセットが邪魔だったので、ベッド脇のサイドテーブルに移動することにしました。

18時ちょっと前に低い雲に半分覆われている利島(一番右)が見えていました。まん中が鵜渡根島、奥の細長いのが新島です。

片付けを終え、現時点では忘れ物はなく、我ながらパーフェクトな準備状況でした。そろそろビールにしようと、例の免税ビールを買いに行ったら、残念ながら明日神戸を出港してからの販売とのことでした。
本日の食事は18時からの1回制だったので、20分過ぎに6Fの「フォーシーズンズ・ダイニングルーム」に降りて行きました。部屋でビールを飲めなかったので、ここで乾杯のビールです。初日なので奮発して船上限定の「飛鳥Uエビス生ビール」700円を。
この日は案内されるまま左舷の前方の席だったのですが、この付近はエンターテイナーや本船の関係者が座ることが多いようです。この後も何となく左舷で食べるようになりました。

冷前菜
  • カジキマグロのスモーク
    生湯葉のカクテル
前菜
  • 手長海老のガダイフ巻き焼き
    アスパラとレモンソース
スープ

  • セロリのスープ ミント風味


  • チキンブイヨンスープ
    春野菜入り★
メイン

  • カレイのカルディナール風


  • 黒豚のウィンナーシュニッツェル
    グリルトマト添え★
デザート

  • メアプリコットシャンパンムース
    オレンジソース


  • チェリージュビレ(フランベサービス)
初日からこんな贅沢でいいのでしょうか。ウィンナーシュニッツェルが黒豚であるのはやはり日本船の醍醐味でしょう。ビールのあとグラスワイン(500円)も1杯づつ飲んでしまい、ほろ酔い気分でダイニングを後にしました。
食事の後そのまま同じ6Fの「クラブ2100」を覗くとダンスフロアに誰もいなかったので、乗船前に陸でちょっとだけ習った「タンゴ」「ワルツ」「ルンバ」を復習してみることにしました。角がない丸いフロアだったので方角が定まらず夫が混乱していました。20時前だったのですが、誰もいなかったのはショーの直前だったためと思われます。
帰りに6F「ギャラクシー・ラウンジ」を通りがかったら、あと5分後からショーが始まるところでした。私はもういいと部屋に戻り、夫は半分寝てしまったそうですが、ショーを見て来ました。21時の本船位置は、御前崎沖でした。19ノットを出し、頑張って走っているようです。
シャワーをして長い一日を終えたあと、持参した酎ハイを飲むことにしました。これは強めの9%なので、効率よくいい気分になります。
フネは相変わらず振動しながら走っています。今までのクルーズは最長でも2週間でしたが、こういう日々が100日以上続くのは何だか信じられません。夢なら覚めないで、と心から思いました。