69日目 6月10日(金) ニューヨーク 入港6時45分 日出5:25 日没20:27
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
下船・対面英語-米ドルピア88/ハドソン川&48th St12:10〜ヒルトンNY/6th Ave&53rd St
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ30℃40-46N 074-00W北北東2m/s- --14km14km559周381km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
---カジュアル冷やし素麺洋食和食
早朝の入港ワッチに備えて昨晩は22時に寝たのですが、5時過ぎのキャプテンの放送で叩き起こされてついムっとしてしまいました。ベラザノ・ナローズ・ブリッジ(Verrazano-Narrows Bridge)を通過するとのことで、眠い目をこすりベランダに出ました。
すると既にかなり近付いていたため、あっと言う間に下をくぐりました。中央支間1,298mは開通当時(1964年)サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジを抜いて世界一だったそうです。
その後変わった姿の貨物船がいるのをボーっと眺めていたのですが、夫はさっさと着替えて11Fへワッチに行ってしまいました。

そして夜が明けていくハドソン川を通航する他船をしっかりと撮影していました。本船の後ろにいる川崎汽船のコンテナ船(昨日抜かされたフネ)や、先行するキュナード社のQM2(Queen Mary 2)をみつけたようです。

私の方は身支度を整え15分程遅れて5時半過ぎに夫にジョインしました。前方のQM2はちょうど右に転舵しているところでした。大き過ぎてこのまま本船のようにハドソン川(Hudson River)は上れないらしく、右側にあるブルックリンのクルーズターミナルに入るようです。
調べたところQM2は本船がレイキャビクを出た次の日に英国のサザンプトンを出港し、本船と同じように大西洋を横断するスケジュールでした。折りしも昇りゆく朝日を背負って素晴らしい光景でした。
QM2を見守っていると左舷に自由の女神が近づいて来ました。これはやはり現場に行くよりこうしてフネから眺めるのが良さそうです。
アメリカの象徴であるこの像をこの距離で見たのは初めてです。多くの移民が大西洋横断を経て、ようやく希望の地アメリカに到着したことを実感しつつこの像を見上げたことでしょう。
先ほどはブルックリンの方に見えた朝日が今はイーストリバー(East River)の上に見えています。マンハッタンに昇る朝日というのもクルーズならではの光景です。
6時ちょっと前に、本船の北上とともに左に移動していた太陽が一旦マンハッタンの摩天楼の向こうに一瞬見えなくなりました。
そして再び顔を出しました。右は6時8分頃のエンパイヤ・ステートビルです。今日は一日に二回も日の出を見られた気分です。斜めのシティー・コープのビルや、アールデコ調のクライスラービルも綺麗に見えました。

今日のパイロットは若い人で、ブルーのボタンダウンにチノパン、紺のブレザーと教科書のようなアメリカン・トラッドに身を包んでいました。

6時半頃、本船が停泊するピア88の近くまでやって来ました。手前のピア86には博物館となっている空母「イントレピッド(Intrepid)」が係留されています。
本船はこのまま入船左舷着岸するようです。イントレピッドの全長は全長は266mとフネとしては意外と小さいのですが、それでも展示されているコンコルドと比べると威圧感があります。

と、ここで「アマデア」以来すっかり親しくなった夫の学校の先輩がグラス片手に悠然と現れました。「先輩、ウーロン茶ですか」「バカ言うなよ、ウィスキーに決まってるだろう!これだけの入港シーン、飲まないとニューヨークに失礼じゃないか!」流石人生の先輩は言う事が一味違いました。

でも朝日を背負うマンハッタンは、地元のフェリーのほかは客船からしか見られない贅沢な姿でした。2011年6月Youtubeにアップロードされていたニューヨーク港に入港する本船の様子

本船は予定より少し早い6時50分頃着岸しました。早朝から起きていてお腹が空いてきたので、7時過ぎにいつもの「リド・カフェ」に行きました。すると牛乳やシリアルの提供方法が変わっていました。アメリカ当局の衛生基準を満たすためのようです。牛乳はピッチャーからパックに、シリアルもサーバーに入っていたのが個包装になっていました。
参考サイト(Centers for Disease Control and Preventionの検査結果)

いつも牛乳を飲む訳ではないのですが、珍しいのでフランス産のパック牛乳を取ってきました。

夫の方はマンハッタンの景色に合わせたのか、トーストにレタスを敷いてベーコンとトマトを載せていつの間にかBLTサンドイッチを作っていました。

両親と妹達が1990年まで数年間ニュージャージーに住んでいたので、学生時代に私も何度か来たことがあるのですが、ハドソン川沿いは随分と高い建物が増えていてびっくりしました。
8時過ぎから入国審査が始まりました。アメリカでは上陸しない人も含め全員が一旦下船して、ターミナルの対面入国審査を通ったあとは、全員の審査が終了するまでフネに戻れないそうです。当面フネに戻らない人が先に降り、その後デッキ順に呼ばれるという手順で、審査終了まで3時間半を見込んでいるとのことでした。この待ち時間がもったいないので、その間ジョギングに出ることにしました。
入国審査では「あなたたちが一番若いカップルなんじゃないかしら」「多分ね。平均年齢は70歳位らしいから」「えー、それは退屈じゃない!」「確かにフネはとても静か」みたいな会話をしました。彼女はもうすぐ誕生日だと言う話になり、何を思ったか夫が「男性はいいけど女性が年をとるのはよくない」的なことを言ったため「この人何いってんのよ、ヒドイわね。どうよ」と言うので「無視して(Forget about him.)」と言えたのには我ながら感心しました。終わって彼女が休憩に行く時ももう一度「年をとるのは良くないのよね!」とこちらを見ていうので「無視してってば(Forget about him !)」「アッハッハ!」結構ウケました。
下船してから10分もかからずに入国し、目指すはセントラルパーク(Central park)です。マンハッタンはニュージャージーからジョージ・ワシントン・ブリッジを渡って何度か来たことがありますが、もちろんジョギングは初めてなので新鮮です。が、ヨーロッパの気候に慣れた身体には既にかなり蒸し暑く感じます。
15分程走るとコロンバス・サークル(Colombus Circle)があり、その前にセントラル・パークが広がっていました。道路は自転車とスケーターが走れるレーンがあり、ジョガーもそこを走っていいらしいのでニューヨーカーに混じって9時過ぎに走り始めました。写真はマンダリン・オリエンタルホテルも入るタイム・ワーナー・センター (Time Warner Center)です。
セントラル・パークは長辺(59丁目から110丁目)が4km、短辺(5番街と8番街の間)は800mと大きいので速く走ると疲れてしまいます。右ふくらはぎを寒さからルーアンで痛め、だまして走っていたのをベルゲンで更に痛め、レイキャビクでトドメが刺さって完全に怪我をしてしまったので無理は出来ません。それにしてもこのジョギング環境はワールドクルーズならではの豪華さです。

ゆっくり走ってもパーク内は意外と起伏があってかなり疲れましたが、貯水池越しのこの景色は見る価値がありました。

最後に陸を走った時は風邪を悪化させた6°C(レイキャビク)でしたし、フネでもまだそんなに暑くなかったのがここでは最高28度予想でぐんぐん上がっている感じで、汗が吹き出しました。
一番北の端である110丁目まで到達し、それから池沿いのコースなども走って結局10時半頃元の場所に戻って来ました。
コロンバス・サークルにはトランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー (Trump International Hotel and Tower)もあります。
マンハッタン・クルーズターミナルは48丁目にあります。帰りも写真を撮ったり道草をしたので結局11時に戻りました。何度も私が立ち止まるので、夫の頭からは湯気が立ち昇っていました。
タイミング的にはちょうど全ての入国審査が終了し、再乗船出来るところだったので丁度良かったです。そしてフネに戻ると大浴場が待っているのが日本船の良い所です。
12時前に「リド・カフェ」に食事に行きました。今朝方の人生の先輩を見習い、私達も珍しく昼間からビールでマンハッタンに乾杯しました。
「リド・カフェ」の屋外の席からは右舷にBAのコンコルドが見えています。「ロンドンで朝食、ニューヨークで昼食」のキャッチフレーズ通り、大西洋を僅か3時間ちょっとで飛び越えた超音速旅客機でしたが、商業的には成功せず2003年に引退しました。
13時のシャトルバスの行き先はヒルトンホテルで、53丁目と6番街の角にあります。15分程で到着したのですが、僅かの時間に爆睡してしまったためヒルトンのどの位置に着いたのか全くわからなくなりました。
6番街に向け北に向かって歩き出したつもりだったのですが、実は全く反対の7番街を南方面に歩き出していました。ということで見える筈もなかったタイムズ・スクエア(Times Square)方面が見えてしまいました。
そうしたら按配良く本船のダンスの先生おすすめのダンスシューズ屋(Capezio/51丁目と7番街)がありました。夫が拒絶反応を示すかと思ったのですが、中に入ろうということになり、フォーマルの日に履けそうなエナメルの靴を探してみました。残念ながら丁度良いサイズがありませんでした。「飛鳥U」の乗船客が何人も訪れていて、そのうちの一人(高齢の女性)が全く英語を話さなかったため、困っていた店員さんのために通訳をしてあげました。
もともと夫はマンハッタン観光に特段興味を示さず、私の方はショッピング重視ということで、数日前に「飛鳥U」で配られたJTIA(Japanese Travel Indusrty Association)作成の「NEW YORKミッドタウンマップ」というとても良く出来た地図上で目についた店などをマークしていました。その中で唯一夫が拘っていたのがヤンキースのショップでした。場合によっては今夜のインディアンズ戦を見てみたいと言うのです。
ということで7番街近くの49丁目にある「ヤンキースクラブハウス」に行ってみると外野席でも100ドルという暴利です。野球ごときにアホらしいというのが本音でしたが、夫はやはりヤンキースタジアムに行ってみたいらしいので、結局その場で当日チケットを購入しました。試合開始は19時5分です。
クラブハウスを出たあと、何となく足の向いた50丁目の方に向かったら右の方にラジオ・シティー・ミュージックホール(Radio City Music Hall/50thと6番街)がありました。1933年にオープンした歴史ある劇場で、それ以来続くクリスマスショーを家族で見に行ったことを思い出しました。
暑い暑いと思ったら82°Fもありました。この温度はひっくり返して28°Cするとセ氏になります。夫が目ざとく愛車スカイラインGTの最新米国バージョン「INFFINITY G37」を見つけ、「このクルマはアメリカを走っていると本当にカッコいいんだよなあ」と私に同意を求めてきました。
この後さらに上流(56丁目)にあるアバクロ(Abercrombie & Fitch)に行ってみたかったのですが、夫を(買物目的と気取られず)自然な感じに誘導するには距離があり過ぎて無理と判断、下流(48丁目)にあるチョコレート屋のコンセプトショップを目指すことにしました。途中楽器類屋街があり、入ってみると欲しかった楽譜もあったので数点購入しました。
7番街をブロードウェイの方に渡るとまず「M & M's World」があります。交差点で止まっている黄色いタクシー(yellow cab)はニューヨークの風景の一部になっています。M & Mではキャラクターグッズを2人の姪とついでに自分用にも購入しました。ピーナッツの入ったカラフルなチョコは大容量パックを買って鷲掴みにして食べたくなる美味しさです。


「M&M」を出て今度はブロードウェイを渡るとハーシー「Hershey's Times Square」があります。包み紙に自分達の写真を入れ込めるサービスがあり、心動かされましたが高そうなのでやめました。

チョコ店はそれぞれ「別にわざわざこんな所で買わないでも」という気持ちが働き、あっと言う間に見物が終わってしまったため、時間はまだ15時半になったかならないかです。やはりアバクロに行きたいと5番街の方に先ほどの49丁目を横歩きすることにしました。
すると偶然ロックフェラーセンター(Rockefeller Center)に行き当たりました。観光に関して無計画なことこの上ありませんが、一応ここは例年大クリスマスツリーの点灯式が有名であると夫に解説しておきました。
この一角に先ほどのラジオ・シティー・ミュージックホールがあり、同じブロックにはアメリカントラッドの総本山、ブルックス・ブラザーズの店舗があります。自分ばかり買物に時間をかけるのが心苦しかったため、店の前をわざと通りががると永遠のアイビーの夫としては無視出来ず、その気になって入店しポロシャツを一枚買いました。
ブルックスの角を曲がって51丁目を5番街に向かうと、またも偶然に観光スポットである聖パトリック大聖堂(St. Patrick's Cathedral )に行き当たりました。古く見えますがアメリカの歴史より古い筈もなく、1878年に完成したネオゴシック建築様式です。昨年ダブリンで見た同名の大聖堂はアイルランド国教会ですが、こちらはローマンカトリックというのも大きな違いです。
5番街に出たら、あとは延々とアバクロのある56丁目まで突き進むだけです。宝飾店(写真はカルチェ)やギャップ、トミー・ヒルフィガーなどすべて無視してひたすら北上しました。
16時過ぎにようやく目指すアバクロに到着しました。が店内は暗く、音楽も会話が出来ないほどうるさく、一瞬怯みましたがベンチが空いていたので夫を待たせ、もの凄い勢いで店内を歩き回り何とかパーカーを一枚購入することが出来ました。もう少し見たかったのですが15分ぐらいが夫の我慢の限界でした。
マッチョなモデルの立っている店の前を出た時点で16時25分だったため、最終16時半のシャトルバスには間に合わないと思ったのですがとりあえず54丁目まで走ってみることにしました。
30分は数分過ぎていたのですが、何故かまだバスが待っていました。ブルックス・ブラザーズの前を通って夫がその気になるよう仕向けはしましたが、本当にその気になって20分以上選んでいたため、その時点でバスは一旦は諦めていたのが間に合って良かったです。
本船に戻る前、アメリカでは恒例の荷物検査を抜けて部屋に戻ったのは17時位になりました。蒸し暑い中歩き回ったので、一度シャワーをしてスッキリすることにします。
11Fの「リド・グリル」に行くと入口の手前に早速仕入れた寄港地ビールが置いてありました。ボストンの「サミュエル・アダムス(Samuel Adams)」と、一足早くメキシコの「コロナ(Corona)」の二種類です。

ビールは球場まで我慢するとして、黒毛和牛バーガーと焼きそばを食べて18時過ぎにフネを出発しました。

チケットを買った時に「B線かD線か4線で161丁目下車」と聞いてあったので、私の頭には地下鉄しかなかったのですが、夫は最初から豪気にタクシーと決めていたようです。にもかかわらず「現金を沢山持つように」の指示はなかったため手元には80ドル位しかありません。いきなり機嫌を損ねてしまいましたが、とりあえず船(48丁目)から最寄の50丁目駅に向かいました。
50丁目の駅は8番街との角にあるため、川沿いの12番街からは20分近くかかりました。
50丁目はローカル線のみの停車駅で、2つの路線が通っています。1つはクイーズ地区に行くE線、もう1つが目指すアップタウン方面行きのC線です。
ローカル線は本数が少ないのか、C線は10分位待って18時40分頃やってきました。ヤンキースタジアムのある161丁目駅に行くB線かD線にどこかで乗り換える必要があるのですが、ニューヨークの地下鉄はあまり乗った事がなくローカル線と急行線の関係もいまひとつわかりません。
正解は次の駅である59丁目駅で乗り換えだったのですが今ひとつ確信が持てなかったため、次のチャンスである125丁目駅までちんたら行くハメになりました。夫が出発前にチェックしていたようだったので、すっかり油断していました。がそもそもタクシーで行くつもりだったのだからちゃんと調べている筈はありません。こういうこともあろうかと、念のため昼間のうちに有人駅で路線図だけはもらっておいて助かりました。
125丁目は同じホームでD線に乗り換えられるようになっていて、そこにはヤンキースのシャツを着た人がいたので大丈夫そうです。ということでそこから約10分で161丁目駅に辿り着くことが出来ました。
そこからは人の流れにくっついて5分強、野球ファン憧れの(たぶん)ニューヨークヤンキースの本拠地、ヤンキースタジアム(Yankee Stadium)がありました。
2009年に建て替えられてまだ3シーズン目のせいか、とても綺麗でスペースも贅沢に使っている印象です。
外野席のセクション105(右翼)、16列1番と2番が私達の席です。思ったよりも低い位置で臨場感がありました。既に試合は始まっており、ヤンキースは1回表に3点を先制していました。
ショートはあのデレク・ジーター選手が守っています。それほどファンではなくとも、有名な選手を本拠地でナマで見られるのはやはり嬉しいものです。先発ピッチャーは背番号47のノバ投手で初回の先制点で気分良さそうです。

2回裏にはグランダーソンの19号ソロホームランで追加点をもらいました。夫は意外と静かに野球を見るのでいまいち盛り上がりにかけたのですが、後ろでず〜っと隣としゃべっていたオジさんが最初のホームランの時にトントンと肩をたたくので、何かと思ったらハイタッチ要求でした。

その次のバッターであるテシェイラへのデッドボールでお約束の乱闘になりました。流石本場のベースボールです。
観戦を開始してから30分、この場にも慣れてきたので夫にビールを買いに行ってもらいました。なかなか戻って来なかったので混んでいるのかと思ったら、売り場でひと悶着あったと憤慨して帰って来ました。

「臨機応変(2011年6月13日)」
4回裏にA・ロドリゲスのソロホームランが出ました。ここまで毎回得点の6-0と一方的な試合になってきました。
ヤンキースの攻撃が長く、ホームゲームとしては面白いのですが試合の進行は遅くなります。21時10分過ぎに急に雨が降り始め、激しくなってきたため15分ほど試合が中断しました。
ということで試合開始から2時間半近くかかった21時半頃、ようやく7回の表が終了し 恒例の「7th inning stretch」の時間となりました。後ろのオジさんはその前のグラウンド整備の時に「これはYMCAだから」と教えてくれたり、シャッター押そうか?と聞いてくれたりとても親切でした。
四球でランナーが出ると電光で「Keep Walking.TM Johnny Walker」というコマーシャルが出るのはやるなと思いました。
それからDHのホルヘ・ポサーダが出て来ると「Hip hip hooray(ヒップヒップ・ハレイ、英語圏の万歳みたいなモノ)」ならぬ「Hip hip Jorge(ヒップヒップ ホルヘ〜)」というかけ声がかかるのも面白かったです。流石本拠地のヤンキースファンは熱心で、球場の盛り上がりは十分でした。
試合は7回を終わってほぼ22時、この回にも4点入れて点差十分の11-2だったので、地下鉄にあまり遅い時間に乗るのはよくないかと思い、試合途中ですがここらで帰ることにしました。

ヤンキース対インディアンズ(2011年6月10日)の試合結果

「俺にビールを売らなかった店はこれだ」と夫が憎々しげに教えてくれました。ステーキサンドやフレンチフライやら身体に悪そうな食べ物が多くて楽しそうでしたが、値段の横にカロリー数が書いてあるのは興醒めです。

名残惜しいのですが、ヤンキースタジアムを後にしました。この試合は大差がついていたので、気分良く途中で帰る人も多かったようです。が、船に戻って最終結果を見たら何と11-7まで盛り返されていました。
地下鉄の駅が近いのは大変便利です。このあたりは治安があまり良くないイメージがあるのですが、流石にヤンキースの試合のある日は観戦に来た野球ファンばかりなので大丈夫でしょう。
帰りは行きのように試行錯誤がないので簡単です。USD2.50の片道切符を自動販売機で買う際に、10ドル札を入れたら「高額過ぎてお釣りがありません」と出ても小さい紙幣を入れなおす余裕がありました。
161丁目駅はB線とD線と4線が通っているので、B線又はD線のマンハッタン方面のホームに降りて行きます。

やって来たD線はセントラルパーク沿いの駅を8つも飛ばすので、あっという間に59丁目駅に着きました。ここでローカルのC線に乗り換えです。

そこからは1駅だけなので、結局スタジアムのある161丁目駅から20分強で50丁目駅に到着しました。ニューヨークの地下鉄は急行が複々線化された部分を走るので全然速さが違うということがわかりました。

《まとめ》
飛鳥U--(徒歩20分)-->50丁目駅--C線-->59丁目駅--B又はD線-->161丁目駅 --(徒歩5分) -->ヤンキースタジアム
50丁目駅を出た辺りは8番街もあるのでそれなりに人がいるのですが、川の方に向かうに連れ人通りが少なくなるので少々心配でした。
が別に女が一人歩きをしている訳ではないので何事もなく、それでもピア88が見えた時にはホっとしました。
23時になる直前にマンハッタンのミッドタウン、ハドソン川に浮かぶ我が家に帰って来ました。朝はジョギング、昼はショッピング、夜はナイターと精一杯遊び尽くしてみると、改めてこの本船のロケーションの素晴らしさがわかります。ブルックリンのQM2ではこうはいかないでしょう。
最終帰船は明日11日の20時です。ストックホルム以来のオーバーナイトは、やはりゆっくりと寄港地を楽しむことが出来そうです。
今日は結局夕食をちゃんと食べていなかったので、その足で夜食を食べに行きました。23時半まで6Fの「ビストロ」で出される本日のメニューはちゃんぽん麺でした。
7日間続いた終日航海日の後久々の寄港日はとても内容の濃い一日となりました。ヤンキースタジアムから無事帰って来られて良かったし、何よりも自力で無事試合を見られて良かったです。
「NEW YORKミッドタウンマップ」は明日も大活躍しそうです。本船の割と薄味の食事に飽きて来たので、明日の夕食は居酒屋やら焼き鳥屋、牛角(ただし3番街の方なので難しいか)などに印を付けて備えています。