95日目 7月6日(水) 終日航海日 日出5:30 日没20:09
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ28.5℃21-59N 163-57W東8m/s- ---0km762周532km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
-フルーツ・ビュッフェ日野美歌 コンサートカジュアル焼き魚洋食洋食
昨晩時刻改正があったとは言え、ホノルルでの買物疲れでもうちょっと眠っていたいのを、8時過ぎに夫に起こされました。
バルコニーの手すりが濡れていたので、明け方ににわか雨があったみたいです。早く食事に行こうと急かすので、面倒臭くなり先に一人で行ってもらうことにしました。あとからわかったのですがこの時夫はまたも時差調整を忘れていて、1時間遅い9時を過ぎたと思い慌てて出掛けたそうです。
夫を追って「パーム・コート」に行くのも面倒だったので、食事はゆっくりと「ザ・ビストロ」に行くことにしました。ついでに4月18日の初回レッスンの時からずっと借り続けていたウクレレを返却に行きました。
「ザ・ビストロ」は9時から11時まで朝っぽい軽食を出すので、寝坊した時や軽く食べたい時に重宝しています。でも本船からミューズリがなくなったのは返す返すも残念です。

ここにもハワイの営業許可証が掲示してあり、ヒロ入港前に発見したハワイ郡のものの他、ホノルル郡(City and County of Honolulu)のものも加わっていました。こちらの免許手数料は120ドルと高額でした。

この後夫と合流し、クルーズコンサルタントが一人だったので何となくオフィスに入りました。世間話をするうちに、世界一周クルーズに限り神戸まで乗っても料金は変わらないということがわかりました。
と、言うことであれば少しでも長く乗っていたくなるのが人情というものでしょう。神戸からは新幹線で東京まで戻らなければなりませんが、私達の航程は神戸まで延ばしてもらうことにしました(写真は横浜発着のオリジナル船客カード)。
乗船カードはフロントで作り直してくれ、古いほうと交換で下船地が神戸となったカードを受け取りました。

「神戸まで乗船(2011年7月13日)」
11時からのダンス教室は「ジルバ」でした。「ウィンドミル」からの「スパニッシュ・アームズ」と「クレードル」の両方がルーティーンに入るバージョンを踊りました。

部屋への帰り、珍しく右舷のカジノの所を通るとホノルルでの免税品の引渡し準備中でした。最終寄港地のためか、クルーの想像より量が少なかったらしいです。

夫は野菜分補給のため昼食に行き、私は太陽に釣られてプールサイドに炙りに行きました。太陽はほぼ真上ですが、少し影が出来ていました。
そのうち夫もやって来て、本を読みつつ暑くなったら泳いで時間を過ごしました。
この一番紫外線の強い時間帯に炎天下にいるメンバーは段々固定されて来たので「焼き仲間」と呼ぶことにしました。ホノルルから区間乗船して来た知り合いの娘さんも焼き仲間に加わりました。
フルーツビュッフェに備え、14時過ぎにプールから上がって部屋に戻りました。
するとベッドの上に、見たくないモノが載っかっていました。税関の申告書類や下船タグ等の「下船キット」です。船上は水曜日(日本時間では木曜日)なのでピンときませんが、横浜の下船は7日後の木曜日に迫っているのでした。つくづく下船地を神戸にしておいて良かったです。
14時半から本クルーズ2度目のフルーツ・ビュッフェが5Fの「アスカプラザ」とメインダイニングを会場にして開催されました。1回目の時はシンガポール出港のすぐ後で、クルーズもこれからという雰囲気でした。
入口にカメハメハ大王の彫刻が置いてあったので、夫と両側に立って、パイナップルやオレンジを手に持って大王のポーズを真似た所をカメラマンに撮影してもらいました。するとたまたま通りがかった写真教室の水島先生に「なかなか面白い」と褒めらました。
フルーツを見繕うことにします。写真を沢山撮影するので、それに気付いたクルーがポーズをとってくれます。

毎度お馴染みのフルーツカービングはずっと実演していました。

日本でも手に入りそうな定番はひとまず置いておくことにします。パイナップルには「Dole」の札が付いていました。ホノルルのあるオアフ島のまん中辺に「ドール・プランテーション(Dole Plantation)」というパイナップルが主役のテーマパークがあります。
ロンガン(龍眼)をみつけました。姿も味もライチ(茘枝)に似ています。

第一弾。夫はアメリカンチェリーやスイカ等珍しくもないものを取っているようですが、私の方はパパイヤ、マンゴー、ホワイトパイナップル、ロンガンを盛りました。

夫の皿の白い果物はサワーソップ(Sour sop)で、爽やかな味がします。20年以上前、シンガポールで最初に「サワソップ」味のジュースを飲んだ時とても美味しいと思ったのですが、日本には入って来ておらず、しかもオランダドリアンという名前があるとは全く知りませんでした。
よく熟れていて、とても甘いマンゴーをお代わりしました。もっと食べたい位でした。

それから、夫が食べていたジャックフルーツが割りと美味しかったので、お代わりをしました。トゲトゲのかなり巨大な果物で、味は初心者向けドリアンのような感じです。種を茹でたものが美味しくて、これも沢山食べてしまいました。


仕上げに何の変哲もないアイスクリームを食べました。
食べ終わってからも余韻を楽しみながら珍しいフルーツの写真を撮影し続けていたため、ダンス教室の予習が出来ないと夫に怒られてしまいました。午後のダンス教室は難易度が高いので、クルーズを通して夫はやたらと神経質でした。写真はパンの木です。
そしてダンス教室の「ワルツ」では、初めて全面(A面〜D面)を通しで踊りました。居残り練は必須でした。

今日は禁酒をするらしく、その後夫は何かをお腹に入れに「ザ・ビストロ」に向かいました。
私の方は本船オリジナルグッズみやげの宅配サービスの注文に売店「ル・ブルー」行きました。夫は12月末で、私は1月末で退職したため配る先はそれ程ないにもかかわらず、つい多めに注文してしまいました。申し込み期限が今日までなのは、横浜への入港直後に自宅に届くよう手配するためです。
店内では「買い忘れはありませんか?」とでも言うように寄港地グッズも置いてありました。
その後ライブラリーに流れ、新聞を読みました。洋上で衛星版をリアルタイムに読めるとは、本当に便利な世の中になりました。
ショーもパスすることにしているので、食事まで時間をもて余した夫がジムに行くと言うので付いて行きました。すると18時45分頃当直航海士から後方に虹がとの放送がありました。外に飛び出すと凄い虹が出ていました。

広角気味のカメラでも全く入りきらないのですが、凄く丸いのです。日没が1時間後で太陽が低い割に光量が多いから見ることが出来たのでしょうか。

本船のカメラマンも撮影に駆けつけていたので、しっかりと撮影してもらいました(そしてその写真を購入)。

5分程で虹は薄くなってしまいました。夫はこの手の自然現象にそれ程興味がないため、この絶景をベストポジションで見ていたのは私とカメラマンだけでした。
そして間もなく虹は消えました。高度の違う雲が色々漂っているのを、低い太陽が照らす夕焼け空が残りました。
19時過ぎにいつものルートで部屋に戻りました。いつものルートもあと1週間限りの命となり、既に寂しさが募っています。
19時過ぎに部屋に戻ると部屋係のハイディが、既に掃除(ターンダウン)を済ませてくれていました。
時間になったので、メインダイニングに下りて行くと入口にはコナの地ビールが飾ってありました。これを見たらやはり飲みたくなります。
ということで、3種類あったうちの「一番アルコール度数が高いのをお願いします」と言ったところコナ・ブルーイングの「FIRE ROCK」(ペール・エール:6%)を持って来てくれました。

なお、夫は誘惑にも負けず頑張ってウーロン茶を注文しました。
Appetizer

トロカツオとタコのポワンクリュ
Soup

白いんげん豆のクリームスープ
From the Sea

黒鯛のポワレ 鮑の入ったタップナードソース
Main Course

牛肉の網焼きハワイアン パイナップルとフライドポテト

この他のチョイスは”軽め”の「アンコウのグリル サラダ仕立て」または「季節の温野菜料理」でした。
Dessert

チョコレートケーキとココナッツアイスクリーム
今朝からアスカプラザの階段の所に七夕飾りが置いてあり、願い事の短冊を自由に書いて付けられるようになっていました。既に沢山吊るしてあったのですが、私も参加することにし、考えた挙句「また世界一周に来られますように」と書き、さらに目標時期も明示した方が良いかと「出来れば5年後に」と追加しておきました。
23時頃の本船のGPS航路図ですが、19.4ノットも出して容赦なく日本に向かって突き進んでいました。
この海域も、NHKの衛星放送は受信出来ないようです。衛星の入らない場所があることはこのクルーズで初めて知りました。
船内時間は7月6日の23時ですが、日本時間は既に7月7日の19時です。1回の時差調整で1時間ずつ増えた時差は現在20時間ということになります。