102日目 7月14日(木) 横浜 入港11時 出港15時 日出4:35 日没18:56
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ31.0℃35-27N 139-39E南3m/s- 12周--5km906周595km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー備考
-入港パーティープロダクションショーカジュアル越前蕎麦洋食和食-
5時半頃目を覚まし、GPS航路図を見ると本船は野島崎に近付いていました。太平洋を横断して東京湾に入るフネが通る重要な航路です。BSではなでしこジャパンがワールドカップの準決勝でスウェーデンを3-1で下した映像が流れていました。
夫は早速艏ワッチに出かけ、前の夜名古屋を出港して仙台に向かう太平洋フェリー(「きそ」なのか就航したばかりの「いしかり」かは不明)を撮影しました。
伊豆大島が綺麗に見えています。早朝ながら航行する船舶が多く、夫にしては珍しく何枚も撮影していました。
LNG船「ALTO ACRUX」は2008年出来で、日本郵船が運航しています。特に好きなタイプではありませんが、丸いガスタンクはやはり目を引きます。

バルクキャリアー(ばら積み船)の大物も走っています。左はMO(商船三井)の「ENERGY PYXIS」でパナマックスサイズの石炭船(L225m、B32m)、右のK-LINE(川崎汽船)「CAPE WAKABA」がケープサイズ(L289m、B45m)と見ごたえがあります。

7時頃夫に合流し、昨晩寝たのが遅かったせいかあまり食欲がないため、パームコートで軽く食事を済ませました。
7時40分頃、東京湾の入口に差し掛かりました。多くのフネが浦賀水道を目指して壮観です。
これは多くの船舶無線が聞こえているに違いありません。一度部屋に戻って無線受信機をスタンバイします。それにしても部屋は明日神戸で下船するとは思えない程ほとんど何も片付いておらず、少々不安になりました(後で聞いたのですが、部屋係のハイディも「なかなかパッキングをしないけど、きっとスロースターターなのだろう」と思ったそうです)。
一年前に購入した無線受信機IC-R6を持って来たのは大正解でした。思惑通り、着岸プロセス見学の楽しみが倍増しました。

8時半過ぎに本船が大きく左に舵を切り終わると、左舷には観音崎灯台と東京MARTISが見えていました。

と、前方に横須賀から出て来て航路に入ろうとしている大物の護衛艦が見えました。
この独特の艦影はまさか「ひゅうが」では?と思ったら艦番号「181」はまさしく「ひゅうが」のものでした。2009年の12月に米軍横須賀基地で見学して以来の堂々たる姿でした。
今度は竹芝を出発して伊豆大島に向かう東海汽船のジェット船、「セブンアイランド虹」と行き交いました。平日の東京湾はやはり船舶ワッチが楽し過ぎです。
9時を過ぎたら11Fオモテにもポツポツと人が出て来ました。望遠鏡では既に横浜ベイブリッジも見えています。
そんな中、またも大物ケープがエスコート船を先導にやって来ました。MOの「SPRING BRAVE」は2010年の5月に「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」の船上で会ったことがあります。操舵室の部分がまさしく艦橋(ブリッジ)状態です。
「SPRING BRAVE」を交わしているのとほぼ同時刻に、当局関係者が数名タグボートから本船に乗り込みました。
そしてこのタブボート「鞍馬丸」が本船を横浜ベイブリッジのコースに先導します。
横浜港のコンテナターミナルでは「MOL ENTERPRIZE」が荷役中でした。2003年出来の4,589個積みで、パナマ運河にいた「MOL EXPERIENCE」とほぼ同じサイズです。
大桟橋には「にっぽん丸」が見えています。9時50分頃、横浜ベイブリッジをくぐりました。まだ寒い中期待に胸を躍らせてこの橋をくぐったのは101日前(日付変更線で1日消滅したため、暦上は102日前)でした。
消防艇の歓迎放水が始まりました。大桟橋が近着くにつれ、クルーズが終わってしまった喪失感が大きくなります。とりあえず下船地を神戸に先延ばししておいて本当に良かったです。
「にっぽん丸」は本船より遅く4月10日に横浜を出港し、7月10日に横浜に戻って来ていました。私達がまだ北極圏にいたころにヨーロッパを離れて先にアメリカ大陸に到着していました。それにしてもこの時点でまだ10時、入港予定時刻11時まであと一時間もあります。さすがいつも早めの浅井船長です。
と、本船が大桟橋のAB(バース)ラインを通過するのを待っていたかのように「にっぽん丸」が離岸して行きました。10時出港だとすると調整のため5分強待っていてくれたことになります。
チャータークルーズ(※)に出る「にっぽん丸」の方では多くの乗船客がデッキやオモテの部分に出て、出港風景を楽しんでいるようでした。

※にっぽん丸 利尻島・函館クルーズ6日間(エースJTBチャーター)
10時25分には完全に回頭を終えて、あとはこのままゆっくり後進するだけです。いつもより回頭に時間をかけた気がしたので、後で尋ねたら「色々時間の調整が」とのことでした。

浅井船長と小久江船長の息の合った操船を、指定席のウィング上から見ているのもこのクルーズ中の大きな楽しみでした。

大桟橋のくじらの背中は平日の昼間にもかかわらず、大勢の見物客、出迎え客が詰め掛けていました。
山下公園では太平洋横断の大先輩の「氷川丸」が、静かに本船の世界一周からの帰港を見守っているかのようです。
そして出港時にはなかったブラスバンドの歓迎演奏が始まりました。また主だった旅行代理店が「おかえりなさい」横断幕を掲げていました。
結局10時45分頃着岸しました。下の方ではどんな景色かと7Fのプロムナードデッキに下りてみると、ハワイを出てから有志が参加して作ったこのクルーズの記念横断幕が飾ってありました。こちらかは見えませんが「がんばろう日本!2011飛鳥Uワールドクルーズ」と書いてあります。
11時20分過ぎから、歓迎セレモニーが行われました。浅井船長、加藤機関長、スニバーガーホテルマネージャーが花束を受け取りました。
同じ時刻から、乗船客の荷物を降ろし始めたようです。通常の1週間ぐらいのクルーズとは違い、1つのキャビンからかなりのダンボールが出されている筈で、大変な作業だろうと思います。ここ横浜ではフルクルーズ客の4分の3である300人強が下船するのです。

12時頃、リド・カフェに食事に行きました。空腹感はあるのに、食欲があまりありません。

12時半過ぎに下船の案内があり、10Fの乗船客から下船を開始しました。10Fにはほとんど知り合いがいないので、9Fのコールがかかってから5Fに見に行きました。
船長を始めとするオフィサーや、郵船クルーズの社長や幡野元船長らが両側に立っての見送りです。下船の列には波があり、すごく混雑している時とそうでない時がありました。
クルーやオフィサーへの挨拶のほか、乗船客同士でも名残を惜しむため、通常の下船よりもだいぶ時間がかかりました。
それでも下船開始から1時間強で、横浜の下船組は降り終わったようでした。私達は少しでも長く乗っていたい、と下船地を神戸に変更したのですが、ここで降りてしまうなんて寂し過ぎだったのでナイス判断でした。

エンターテイナーとして区間乗船していたつのだ☆ひろや、栗コーダーカルテットの面々を見つけました。大きな荷物は載せっぱなしにしていたみたいです。

15時過ぎ、本船は静かに出港しました。泣いても笑ってもこれがこのクルーズ最後の出港です。
乗船客は100人ちょっとになってしまい、さすがにプロムナード・デッキも人が少ないです。

下は横浜で普通に下船した知り合いが撮影した写真で、後日分けてもらいました。桟橋から見ても寂しい感じでした。【一番右の写真はクリックで拡大】


夏の太陽が照りつける大桟橋を離れていきます。暑いのに結構な人が見送ってくれました。
今度は横浜ベイブリッジをくぐるのを前から見るため、11F「ビスタ・ラウンジ」外のいつものワッチポイントに移動しました。
こうしていくつも橋をくぐりました。一番印象深かったのは、はるばる喜望峰を回って辿り着いたヨーロッパ最初の寄港地、リスボンの4月25日橋(Ponte 25 de Abril)でした。
橋をくぐって横浜港外に出るか出ないかのあたりで、部屋に引き揚げました。
そして最後のビアタイムにします。このために皆が下船してから出港するまでの間にジョギングは済ませてあります。
このような時間を103日間過ごせたのは本当に幸せなことでした。
16時からの最後のダンス教室に向かいます。いつも部屋を出たらエレベーターで6Fに下り、「ザ・ビストロ」の脇を通ってトモの「クラブ2100」に通っていました。
今回は3種目の総復習編で、まずはジルバです。フロアが空いていて贅沢でした。
その最中、気になるフネが見えたので外に駆け出てチェックしました。船籍港「ΠΕΙΡΑΙΕΥΣ」はルーアンでも見たピレウスです。船名「ΙΡΕΝΕΣ ΡΙΛΑЇΑΝΣ」は「IRENES RELIANCE」でした。
そしてワルツ、タンゴと復習して全144回(含オリエンテーション)に及ぶダンス教室が終了しました。私達はアマデアに乗船している間の3回と、後半の復習編を4回休んだので、137回レッスンを受けたことになります。夫がいつ「もうダンスはやめる!」と言い出さないかずっと心配でした。
大泉先生ご夫妻は「飛鳥」の時から世界一周クルーズのダンス講師をしている大ベテランです。人気のある先生ですが、残念なことに2012年のワールドクルーズを最後に引退されました。
ダンス教室は16時45分頃終わり、通常だと1回目の食事が17時半からですが、今日は人数が少ないため18時からの1回制です。時間が中途半端なので、パームコートに行って新聞を読むことにしました。衛星版は12日で終了し、今日の新聞が横浜で積みこまれていました。

まだ携帯が繋がったのでいくつかツイートした後、時間になったので「フォー・シーズンズ・ダイニング」に向かいました。部屋の目の前エレベーターで5Fまで下り、そこから通路でアスカプラザに出る通いなれたルートです。

和食なのでアスカサケを飲むことにします。注文時にこう呼んでいましたが、本当は「飛鳥オリジナル櫻正宗(本醸造)」で800円です。
先附 法蓮草お浸し

小鉢物 生順才吸い酢仕立て
造里 活け〆鱸 活才巻き海老 お造り盛り合わせ
蒸し物 道明寺蒸し 豆腐 竹の子 鰻
煮物 鶏肉と茄子の卸し煮 青唐 白髪葱 柚子
汁物 滑子と若布の赤出汁

御飯物 生姜飯 生雲丹添え

香の物
水菓子 マスクメロン
テンポ良く出て来るので19時過ぎに食べ終わってしまいましたが、いつものラグーナトリオが「Yes, sir !」とやって来るのを待ち、最後のリクエストをしました。

いつもは頭を捻るところですが夫が「今日はあなたの好きな曲を」と頼んだらフィリピンのバンブーダンスの曲(Tinikling)を演奏してくれました。


19時半近くまで粘ったせいかもしれませんが、私達がダイニングを後にする頃にはアスカプラザ近辺にほとんど人がおらず、ぱっと見貸切状態でした。
部屋に戻ると前方に月明かりの中、利島が見えていました。利島はシルエットが特徴的でわかり易いのです。
そろそろ現実に目を向けなければなりません。残りのパッキングをして明日の11時までにドアの外に出しておかなければならないのです。でもつい逃避してフォトショップの最終チェックに行ったりしてしまいました。
昨晩仕掛かった冬物を入れた1箱目はすぐに仕上がったので、残りの箱をどんどん詰めていくことにします。下船の前の晩まで1箱も出来ていなかったという、ひどい往生際の悪さでした。
が真面目にやり始めてから1時間ちょっとで気が散ってしまい、「クラブ2100」で22時20分からのバンド演奏とダンスの様子を見に行ってしまいました。人が少ないのと、流石にパッキングが気になったのですぐに退散しました。
まとめて詰め込める衣類系を片付け、船内紙やパンフレット、地図などの書類系を本船で購入した小さめの箱に詰め、残りはゴチャゴチャとしたもの、というところで汗を流しに「グランドスパ」に行きました。部屋のバスは既に詰め終わったダンボール箱が占有しています。

まだ23時をちょっと過ぎただけですが、さすがに誰もいませんでした。

そして、いつもの通り寄港地の入港記念プレートが飾ってある廊下を通りました。これらは時々いつの間にか入れ替えられています。
そしてプールを左に見るルートを取ります。何故かいつも左舷を歩きました。
その足で仕上がった洗濯物にアイロンをかけてから部屋に戻りました。
既に夫は隣で気持ち良く寝ていますが、私のベッドはまだ寝られる状況にありません。足元に置いたスーツケースにノロノロと詰めていきました。
外に出ると既にほぼ満月なので、最後の夜はとても綺麗な月明かりでした。
「飛鳥U」は19ノットぐらいで神戸を目指しています。エンジンのトラブルかなんかで遅れたらいいのにと思います。漸くベッドの上が片付いたので1時40分頃就寝しました。