103日目 7月15日(金) 神戸 入港15時 出港15時 日出4:54 日没19:14
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ30.0℃34-28N 135-08E南6m/s- 12周--5km918周600km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー備考
-入港パーティー--冷やし坦々麺洋食--
目覚ましを7時前にかけ、何とか起床しましたが毎度目が開きません。早くに目が覚めてしまった夫は既にデッキをジョギング中でした。今日もいい天気で暑くなりそうです。
私も朝一番でジョギングをしてしまおうと思っているのですが、その前にちょっとPCルームに行ってみると紀伊半島が綺麗に見えていました。
8時過ぎにジョギングを開始しました。世界一周クルーズが始まった4月3日から昨日までに595kmを走って来ているので、今日最低5km走って600kmの大台に載せたいと思っています。いつも通り、部屋の前の階段を下りた所からスタートします。


左舷は暗く、逆に右舷は綺麗に日が当たって眩しい位でした。

後ろから来た海上保安庁の船が、あっと言う間に追い越して行きました。PM35「くろせ」は2011年4月に就役したばかりの新人でした(その後2013年に呉から宮古島に配属が変わり「みやこ」に)。
このクルーズ最後のジョギングは本日のノルマ最低限の5km、12周を走って終了しました。ということで「飛鳥U」のデッキを通算918周、距離にして404kmを走り切りました。
そしてシャワーをしに「グランド・スパ(大浴場)」に行きました。ジョギング→大浴場→プールサイドそぞろ歩き→部屋でビアタイム、というのが終日航海日の夕方のダンス教室後の日常でした。
態勢を整えて9時15分ぐらいに朝食に向かうと、右舷にある「リド・ガーデン」の方はやっておらず、いつもの左舷「リド・カフェ」に落ち着きました。

沢山ある中からこうして好きな物を取って食べるのも今日が最後です。明日からは自分で用意しなくてはなりません。フレンチトーストを焼いてもらいました。

ゆったりと流れていく海を見ながらの、優雅な朝食タイムをいつまでも味わっていたかったのですが、パッキングの総仕上げのため9時40分に部屋に戻りました。
11時までに出せば良いのですが、10時からの「エンターテインメント・サンクスアワー」というイベントに参加しようとしているため、1時間前倒しです。結局荷物は船内紙など書類用の1箱と、現地で購入したものやおみやげ類の1箱分が増えました。

10時ちょっと過ぎにすべての荷物のセットを完了して、ドアの外に置くことが出来ました。横浜下船の場合朝の7時が締め切りだったので、厳しいものがありました。

そしてすぐに「エンターテインメント・サンクスアワー」の会場である「クラブ2100」に駆け下りました。既に説明が始まっていましたが、エンターテインメントチーム12名の顔と名前の書いてある用紙を1人1枚もらい、その後彼らが船内に散り散りになって隠れるのを探して全員のサインをもらうというゲームが始まるのでした。
と、いうことで童心に帰って船内かくれんぼを楽しみました。アフリカの西岸を航行中に、この手のゲーム(アフリカン・ハンティング)があったのですが、その頃はまだ乗船客同士がそれ程親しくないため、情報交換もままならなかったのですが、今回は違います。
「卓球台の所にいた」「カジノで見た」などの情報を駆使して、無事全員のサインをもらうことが出来ました。エンタメチームの大御所二人による「こまどり姉妹」は和室「遊仙」で捕まえました。
制限時間となり、再び全員が「クラブ2100」に集合し、最後に皆の挨拶があって「エンターテインメント・サンクスアワー」は終了しました。クルーズ中一日の休みもなく笑顔で働き続けるのは、並大抵の苦労ではないだろうと思います。クルーのみんなに感謝です。

参加記念に、本船オリジナルキーホルダーをもらいました。イベント自体もキーホルダーも、神戸下船組へのボーナスみたいでした。

11時になる少し前に部屋に戻ると、まだ荷物は回収されていませんでした。
11時過ぎ、バルコニーから「第二はる丸」が見えました。横浜出港翌日の4月4日、神戸に向かっている時に姉妹船の「第一はる丸」と行き交いました。随分昔のことのように感じます。
ジョギングして汗をかいたウェアーを取りに行くと、ちょうど出来上がった所でした。
GPS地図によると友ヶ島水道に入ったようだったので、オモテにワッチに行きました。いい天気で暑く、順調に神戸を目指している本船の周りには、あまり他の船がいませんでした。
ワッチにはまだ早過ぎたか、と部屋に戻り、ランチのアペタイザーに残りのビールを飲んでしまうことにしました。昼前なのに、と躊躇する夫に「でも次にまた本船でビールを飲む機会はいつになるかわからないのだから」と悪魔の囁きでした。
昼食に向かうため、12時ちょうどに部屋を出ると流石に荷物はすべてなくなっていました。

6Fに下りて行くとダイニング入口の前に10F分と9F分の荷物が山積みになっていました。私達の分も右側に混ざっている筈です。「飛鳥U」では珍しくその舞台裏を見たような気がします。

麺物
冷やし坦々麺 和風豆乳スープ仕立て
翡翠麺、水菜、豚そぼろ、トマト、白髪葱、糸唐辛子

小鉢物
水母胡瓜酢

香の物、 デザート

昼食はどんなにゆっくり食べても30分ぐらいで終わってしまいます。400名ぐらいが入れるダイニングはガラガラでした。
部屋に戻って地図を見るともうほとんど神戸です。速力も10ノットぐらいに落ち、時間調整フェーズに入ったようでした。
バルコニーからは遠くに明石海峡大橋も見えました。13時を過ぎたので、そろそろ最後のオモテワッチに出かけることにします。
オモテの定位置に行くと、前方には六甲山と、その麓に抱かれる神戸の街が見えていました。
13時半頃後方を高速で動く白っぽい船体がありました。特徴あるオレンジ色の二本のファンネルは見覚えがあります。
12時20分に大阪を出港して東予に向かうおれんじフェリーの昼便「おれんじ8」でした。2008年の真冬にこの便を利用したワンナイトクルーズに乗船しました。機会あればまたと思っていたのですが、昼便は2012年10月の時刻表改正で残念ながら廃止となってしまいました。
ポートアイランドの先にある神戸空港の滑走路を右に見ながら神戸港の中突堤ターミナルに向かって行きます。ポートターミナルに入る場合には滑走路の奥にある水路を通ります。
いつの間にか本船に満船飾がなされていました。
そして既に掲げてあった「UW1」旗に加え、「第二代表旗」+「N旗」と、本船が200mを超す巨大船であることを示す数字の「1」旗が掲げられました。
 U + W + 1「あなたの協力を感謝する。ご安航を祈る」
第二代表旗 + N「第1区の中突堤に向かって航行する」
1「巨大船」
神戸第一防波堤(西灯台)を交わしました。その向こうに見えているのはポートアイランドです。
三菱重工の岸壁では商船三井の自動車船「OPAL ACE」が艤装工事中でした。調べたところ、奇しくもこの日の午前中に進水したばかりでした。

なお、この後三菱重工は生産体制を再編し、2012年6月末の引渡しをもって神戸造船所で商船が作られることはなくなりました。
14時になりました。中突堤の神戸メリケンパークオリエンタルホテルの白い優美な姿がハッキリと見えています。
川崎重工の造船所では「SUNNY HOPE」という広島沼隈の船主発注、川崎汽船向けのばら積み船が艤装工事中でした。101日前の入港時には「SUNNY ROYAL」という姉妹船がこの場所で工事中でした。
神戸港でも消防艇による歓迎放水がありました。
14時10分頃、もうあとちょっとで着いてしまうというあたりで、7Fデッキのセイルイン・パーティに参加するため恒例の11Fオモテワッチを開きました。
11Fのパームコートではエレガント・ティータイム中で、美味しそうなケーキが置いてあったのを我慢し、7Fのデッキに出ると目線がぐっと下になりました。

岸壁はもうすぐそこです。デッキではナマナの演奏があって賑やかですが、静かに着岸を見守ることにします。

送迎デッキには旅行会社の人が団扇でひとつずつ「お」「か」「え」「り」「な」「さ」「い」を持っていたほか、国際信号旗の「UW3」(お帰りなさい)を掲げている人がいました。なかなかやります。

もうすぐあのボーティングブリッジを使って下船しなければなりません。寂しさがどんどん募っていきました。
平常であれば必ずもらうスパークリングワインもパスしました。「そんな気分じゃない」と言ったところです。
神戸市消防音楽隊の歓迎演奏が始まる中、14時40分頃着岸しました。無事の帰港はもちろんめでたいことですが、このままもう一回りしてくれないでしょうか。
一旦部屋に引き揚げることにします。プロムナード・デッキから船内に戻る時は、基本的に部屋に一番近い一番前のドアから入ってこの階段を上がっていました。
部屋からは対岸に神戸モザイクとレストラン船「コンチェルト」が逆光ながら綺麗に見えていました。
通い慣れた大浴場をもう一度チェックしておこう、と写真を撮りに行った帰りに神戸市による本船の歓迎式典が行われているのを見下ろしました。
GPS航路図もぐるっと一回り、後日届いた「飛鳥U世界一周クルーズ写真集2011」によると横浜から神戸の最終帰港まで35,762マイル(海里)= 66,231kmとのことでした。歴代最長だったのことですが、今後もそう簡単には破られない気がします。

黄色の「Q」旗(検疫中)と共に赤の「B」旗が揚げられ、バルコニーから後方を見るとバンカーバージが付いていました。

下船が遅いに越したことはないのですが、まだもうしばらくかかるのかも、と15時半頃「パーム・コート」に行ってケーキをつまみました。
そして15時50分についに9Fフロア客に下船案内が入ったので「パーム・コート」をあとにしました。
部屋では忘れ物がないかの最終チェックです。103日間30秒ごとに緯度経度のログを取り続けたデータロガーはちゃんと回収してあります。
最後までパソコンが出ていたITコーナーも綺麗に片付きました。
洗面所も大丈夫です。
昨日の今頃はまだ一箱しか出来ておらず、とても下船出来る状況ではなかったのですが、よくぞここまでリカバリー出来ました。
5Fの「アスカプラザ」で演奏している、ラグーナ・トリオにまず挨拶をしました。毎晩必死でリクエスト曲を考えました。
そしてオフィサーが並んでいる下船口へ。夫はあっさりとスタスタ行ってしまいましたが、まずこの光景を撮影しなくては、とカメラを構えると皆この笑顔でした。それぞれに挨拶をし、今までの思い出が思い起こされてうるうるしながら下船しました。
そして舷門の所にいた、レストランのクルーにカメラを向けるとまた。皆顔見知りですが嬉しい笑顔でした。
ボーディングブリッジを渡り、本船を見上げます。つくづく綺麗なフネでした。この美しい船で世界一周出来たのは素晴らしい体験でした。
神戸は下船する人数が少ないため、ゆったりと荷物を回収して通関し、6箱 + スーツケース1つを宅急便に託しました。
そしてタクシーで中突堤旅客ターミナルを後にし、新神戸駅に向いました。急に日本の景色になり、ちょっとした違和感を味わいました。
新神戸駅でも夫はスタスタ行ってしまいましたが、一旦制して夕飯用の駅弁を買い求めました。
世界一周のフィナーレと夫がグリーン車を奮発してくれたのぞみで、最後の乾杯です。
そしてこれがクルーズ最後の写真、車内で食べた駅弁です。

3ヶ月半ぶりの我家には、20時過ぎにたどり着きました。