雑記の雑記

散らかった部屋

なかなかモノを捨てられる性分ではないため、リアル我が家はとても散らかっていて物が溢れています。その分、最初は何もない状態から仕切り直せるキャビンでは極力部屋が散らからないようにしたいと思うのですが、夫の理解は得られません。「家も散らかっているからいいじゃないか」とどこにでも気まぐれに老眼鏡を置き、脱いだ物は脱いだ床にそのまま放置するまさしく「我が家」状態です。流石に本当に散らかった状態の写真は撮影していませんが、そこそこ生活感の溢れた状態は今思うととても懐かしいです。

世界一周のような長期クルーズ時は、ベッド下のスペースも収納に活用するのですが、それでも収納スペースは少なめなのでどうしても物がはみ出してしまいます。また、書類やごちゃごちゃしたモノはデスクの引き出しには入り切らず、マグネットを活用した収納を活用しましたが、これが部屋が雑然としてしまう原因です。

気絶

夜眠るのではなく、昼間に急に睡魔が襲ってきて、しばらくは抵抗するものの、そのうち気絶してしまう時程気持ちの良いことはありません。また、少々アルコールが入った時にこの気持ちよ良さは倍増します。夫は夕食の後、バルコニーで引き波の音を聞いているうちによく気絶し、気持ち良いのだろうからと敢えてそのままにしておくことが多かったです。もちろん朝までそのままだったことはなく、2時間ぐらいをMAXに自分で気付いて戻って来ます。

私の方は夫に比べると気絶回数は控え目だったのですが、ダカール観光の疲れかバルコニーでビールを飲んだ後に不覚にもベッドに突っ伏してしまった所を、夫に激写されました。その後食事の時間に起こされるまで一心不乱に気絶していました。

時差調整

西に向かって地球を一回りする世界一周クルーズでは、基本的には時差は1時間ずつ増やしていく(時計を1時間遅らせる)ことになります。大雑把には4日に1回調整する必要があり、1日25時間の日が出現します。そうして積み上げた時差がある日突然24時間から0になり、7月9日がまるまるなくなったのでした。

ただ、同じ経度でも時差があったり、フネが東に向かうこともあるため必ず1時間遅らせるという訳ではありあません。アフリカからヨーロッパ区間では1日が23時間になる(時計を1時間進める)逆の時差調整が3回(@ダカール−リスボン間Aリスボン−ルーアン間Bドーバー−アムステルダム間)ありました。これで夫の頭がこんがらがってしまったらしく、間違えて「時計を1間遅らせるべき所を1時間早めてしまう」ことが2回(5月16日と6月3日)ありました。これだと本来の時間と2時間ずれてしまうため、まだ7時なのにもう朝食に行くというので随分早いと思って送り出したら、本人は9時だと思い込んでいたのでした。写真は左が時計を遅らせる、右が時計を進める時の時刻改正のパターンです。

チョコレート文化圏

英連邦諸国や元植民地ではキャドバリー(Cadbury、1824年創業)、ヨーロッパ大陸ではミルカ(Milka、1825年)、そしてアメリカではハーシーズ(Hershey's、1894年)の板チョコが目に付きます。日本では森永や明治が大正時代からチョコレートを作っており、独自の閉じた文化圏(と言っても西洋人に比べると消費量のケタが違います)を持っていると考えても良いでしょう。店に入って一番目に付くチョコが何なのかによって、その国の歴史が少しだけ思い浮かぶ様な気がします。

ダイニングの無塩バター

バター好きのせいか、よく磨かれた銀食器の冷えているバターを見るだけでリッチな気分になります。そして無塩の方がより本格的な感じがします。積み地により形状が変わるのもまた一興でした。

ダイニングでの精算

ダイニングで有料の飲み物を飲む場合には乗船カードを渡して注文すると、食事が終わる頃にウェイターが伝票にサインを求めて来ます。サインするのは当然に男性の役目だと思っていたので、最初の頃私を目掛けて伝票を持って来るのが不思議でした。でもある日、本船では妻がサインする場合の方が多いということに気付きました。

ツイストバターロール(Twisted Butter Bread)

クルーズが始まった頃は朝食にチョコレートをかけたドーナツを良く食べたのですが、インド洋ぐらいからツイストバターロールにハマりました。本体のもちもち感にレーズンの甘さとトッピングされたグラニュー糖のザリっとした食感、そこにバター(朝食はパック入りの有塩バター)の塩味を加えた絶妙のハーモニーが口の中で広がりました。

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エスプレッソと新聞

朝食後に「パームコート」でエスプレッソを飲みながら、衛星版の新聞を読むのが定番でした。この時間に部屋係のハイディがスッキリと掃除をしてくれます。新聞は出払っていることが多く、読み終わりそうな気配を察知して自然な感じでススっと取りに行きました。

クラブ・スターズ

6Fの中央部に位置するこのバーは日によってカラオケが出来るので夫が割と通っていました。入口近くを通ると中から歌声が漏れてくるので、まるで国内のフェリーに乗っているかのような気分になりました。クルーズ後半は顔見知りが増えて羞恥心がなくなり、誰かが歌うたびにステージでは踊り子達が陽気に舞いました。

強風のケープタウン(4月26日)

ペンギン浜(ボルダーズビーチ)の見学を終え、喜望峰に向かうバスの中から見えた木は冬季に特に吹き荒れる強風のため、その枝を天に向かって伸ばせていませんでした。

背景画のようなテーブルマウンテン(4月27日)

あまりに綺麗に見えていたので朝食前に12Fに上がったら、反対舷から通路越しに絵の様に切り取れました。

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「飛鳥U」のみみず腫れ(5月14日)

ルーアンへの入港時、急に風が強くなりトモがなかなか岸壁に近付きませんでした。その後急にぐいっと突っ込みましたが、衝撃などはなく、無事に着岸かと思いきや、わき腹を岸壁にこすってしまっていました。みみず腫れみたいになって可愛そうでした。

バルコニーからのガムラ・スタン(5月21日 22:45 → 23:35)

ストックホルム市庁舎でのディナーを終え、本船に戻ってほっと一息したバルコニーからは素晴らしいガムラ・スタンの日暮れでした。

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フィンスタビライザー(5月28日)

ブリッジ見学の日にフィンスタビライザーの在り処をキャプテンに教えてもらい、勇んで見に行きましたが引き波で隠れてしまいほとんど見えません。
接岸する前に収納してしまうので、止まっている状態で見ることは不可能だと思っていたところ、急病人を降ろすためにトロムソに近いノルウェー海で本船は行き足を止めました。その時にクッキリと5.2mのフィンが見えました。

初寄港記念ペイント(5月29日)

今回のクルーズで本船の初寄港地はポートルイス、ケープタウン、ウォルビスベイ、ダカール、ホニングスボーグとヒロでした。写真はホニングスボーグの岸壁に描かれた初寄港ペイントです。

大西洋の霧(6月8日)

大西洋横断も終盤、翌々日はニューヨークというフォーマルナイトの日、北緯40度あたりを航行中の夜遅くに濃い霧が出ました。華やかな船内と対照的に、ブリッジ(操舵室)では緊張のワッチ(見張り)が続いていたのだろうと思います。

ネット書き込みワザ

外国船では持ち込んだノートPCを直接ネットに接続出来るのが当たり前になった状況下、「飛鳥U」は2011年当時はPCルームに3台あるネット接続専用PCからしかアクセス出来ませんでした。家のPCではほとんどのサイトでログインしたままに(又はIDとパスワードを記憶)してあって、ログインしていることさえ意識しませんが、外部の共用PCでブログを書くためには毎度ログインIDやパスワードを入力しなければなりません。加えて料金が高い上に速度が遅いため、極力タイムロスを減らさなければなりません。ということで何度か試した後にたどり着いたワザは、テキストファイルをいくつも開いておく方式でした。すなわち
  1. 夫のブログのアドレス(URL)、ID、パスワード
  2. 夫のブログの原稿
  3. Twitter及びTwitpic(注)のアドレス(URL)、ID、パスワード
  4. Twitter原稿
の4つをテキストファイル(*.txt)としてUSBに仕込んでおいて、ネットに接続する前に開いておきます。

また、ブログやツイッターに投稿する画像ファイルも同様にUSBに入れておき、わかり易い名前を付けておきます。この準備が出来たらネットに接続し、時計を睨みながら素早くネット投稿をしていました。クルーズ中に購入したネット接続カード(60分、5,000円)は合計7枚、35,000円分です。ブログを1回投稿するのに約10分、クルーズ中の投稿は36本でした。2015年初より「飛鳥U」のネット接続環境がレベルアップし、持ち込んだPCからの接続が可能になり、かつ料金ももう少し安くなったようなので、今後はこのワザの出番は残念ながらなさそうです。

寄港地や沿岸で日本の携帯(ガラケー)のデータ通信が出来る場合はダイヤルアップ接続も試みました。速度はフネと大差なかったものの、プロバイダ(nifty)経由自分のPCを直接ネットに繋げるので便利でした。2014年にスマホに機種変更したので、必要があれば次回はテザリング(やることはダイヤルアップと同じ。但しケーブル接続ではなくWi-fi)で繋げようと思います。

(注)2011年当時Twitter本体は画像投稿に対応していなかったため、別サービスのTwitpicを介して画像を投稿する必要がありました。