56日目 2月2日(火) モンテビデオ 入港15:00 日出6:08 日没19:51
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
-スペイン語少しウルグアイペソ旧市街中心部18:20~運行なし
航海情報天候気温正午位置風向風速ジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ23.0℃35-10S 056-16W東7m/s23周--10km828周439km
船内情報講演等イベント他船の揺れプール
--揺れないノーマル
ダイニングランチ(6F)ランチ(11F) リド夕食ドレスコードディナーギャラクシーラウンジ(19:00)
和定食洋食湯豆腐セットカジュアル洋食ローカルショー
今日は15時にモンテビデオ入港を控えているので、朝一番で走ってしまおうと7時に目覚ましをかけてありました。
航路図を見ると、モンテビデオまでまだ半分以上ありそうです。画面の中央が本船で、前方からやって来ているのはMSCリリカです。ラプラタ川の幅はこの画面の細く見える部分でも20マイル(37km)あるのですが、本船もリリカも往航と同じ線を通っていることから、航路はとても狭そうです。
日の当たる左舷から走り始めました。2日前のデッキ走で両膝が痛くなったのが不安ですが、昨日は休んだので良くなっていると信じ今日はフルの23周したいと思います。
右舷に回ると影になっていていい感じです。水が泥水色でいかにも河川を航行している雰囲気です。膝は違和感が無きにしも非ずですが、何とかいけそうです。
岸が見えない程広いのに航路は狭いので様々な貨物船と近くで行き合います。その都度足を止めて持っていたデジカメで撮影しました。

左右のブイ(浮標)はかなり近くにあるように見えています。これは航行するのに気を遣うことでしょう(写真左が左舷、右が右舷)。

トモは後続のフネ達が等間隔で付いて来ている様子がわかってまた感動です。

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8時半過ぎ、MSCの客船「リリカ(MSC LIRICA)」が近付いて来たので、左舷の前方で待機しました。真横の姿は近過ぎて撮れませんが、なるべく引き付けるべく我慢しました。

でもこちらに向かって来るカッコ良い姿は、デジカメの画面すら見えない位のウルトラ逆光になってしまい、シルエット調になってしまいました。

すれ違うフネはあっと言う間に遠ざかってしまいます。後ほどの船長の放送でわかったのですが、このポイントでこのMSC船とすれ違う必要があったため、早朝は速度調整をしてゆっくり走っていたそうでした。リリカは1月30日にリオデジャネイロを出て2日走ったあとブエノスアイレスに向かう7泊8日の定点クルーズ中でした。
本船飛鳥Uのすぐ後ろを走っているのはマースクのコンテナ船「MAERSK LIMA」で、名前からして南米航路向けに作られたようです。7564個積みで長さは300m、幅は46mもある超大物です。ただ、本航は荷物が少なめに見えます。
7時半頃から10kmと思って走り始めたのが、撮影で何度も中断したため23周を終えたのは9時近くになってしまいました。
朝9時台のお風呂は貸し切り状態で、サウナで痛めた足を念入りにストレッチしました。何となくですが、これ以上は悪くならない気がします。
ところで、昨日はなかったのですが浴室への入口のドアの所に「グランドスパ内でのお洗濯はご遠慮いただけますようお願い申し上げます」という注意書きが貼ってありました。洗濯しても脱水出来ないしボタボタと水をたらしまくったのでしょうか、非常識な人がいるものです。
10時過ぎに部屋に戻ると、夫が先にビストロに行ってしまっていたので、追いかけてジョインして遅い朝食を取りました。
戻って部屋のドアを開けると、カッコいいバルクキャリアーが目の前を通り過ぎた所でした。「おおお〜」とバルコニーに駆け出て撮影しました。「OMICRON NIKOS」はギリシャ系で、このフネはサノヤス造船出来でした。
朝一のジョギングで汗をかいたウェアは、さっさと洗濯してしまうことにしました。
するともう11時からのダンス教室です。久しぶりに南極クルーズツアーの人々が戻って来たとは言え、昨日から200名ぐらいが1泊2日のイグアスツアーに行っているらしいので、かなりのスカスカ感でした。
正午頃のGPS地図では、モンテビデオのパイロットステーションと思しき箇所にかなり接近していました。陸までは30kmぐらいあるのでまだ見えません。エビフライに釣られ、5Fにランチを食べに行きました。

主菜物 海老フライ
    名古屋コーチンの炙り焼き
汁物 一口きしめん
白御飯 香の物
デザート 蒸しケーキ
思ったよりエビが小さかったけれど全体的には美味しかったです。

13時頃、ハーバーパイロットが左舷から乗船するのを、横着してバルコニーから眺めました。パイロットのボートが近付くと「ブオンブオン」とエンジン音が響くので部屋の中でもすぐわかります。
ラプラタ川の河口に向かう航路が後方になり、本船のすぐ後ろにいた「MAERSK LIMA」がかなり遠くになりました。夫は偶数日の終日航海日イメージでピアノ練習に出掛けましたが、寄港日扱いでピアノは準備されておらず、スゴスゴと戻って来ました。
モンテビデオで投函しようと姪と義母に絵葉書を書き、洗濯物を詰め替えてから入港ワッチに出掛けます。
の前に、PCルームでメールをチェックしておきました。Wi-Fiで自分のPCが繋がるようになったので、各種メールを送受信出来るのが便利です。
バルコニーからモンテビデオの名の由来となった丘を撮影することが出来ました。マゼランが「我、山を見たり(MONTE VIDE EU/モンテ・ビデ・エウ)」という説が有名でカッコいいですが、現在は否定されているようです。

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帽子とサングラスと無線受信機とカメラというフル装備で、まず12Fからマストのウルグアイ国旗を撮影し、それから11Fに下りてパームコート経由で夫にジョインしました。泥水の向こうがモンテビデオです。
後方からは大西洋の方から入って来た客船「MSCマニフィカ(MSC MAGNIFICA)」が来ていて、これも気になります。
同じ川に面する港であるブエノスアイレスではあまり気になりませんでしたが、モンテビデオはものすごく泥水感があります。防波堤と防波堤の間の狭い所に入っていくようです。
港に入ってすぐ右にコンテナターミナルがありますが、ここには着かないようです。
ターミナルの角を回ると小さい軍艦が係留してありました。初めての港で本船がどこに着くのか見守るのも入出港マニアの楽しみの一つです。今回ももちろん飛鳥の元キャプテンとフェリーの元キャプテンとであれこれワッチをしています。
軍艦の入っている所も越してその先の右に入るようです。最初はどこに入るのか?と思ったぐらい狭い港です。
堤防の中は狭いのですが、その外には船舶が捨ててありました。これはサハリンを彷彿とさせる大胆さです。

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キャプテンおよびスタッフキャプテンはかなり慎重に操船しています。
正面では乾舷の高いチップ船が荷役をしていました。「大峰丸 TAIHO MARU」という名でオレンジのファンネルはMO(商船三井)運航のフネです。MOは伝統的に南米航路でプレゼンスが高いのでしょうか。

曲がる時は船首を、その後は船尾の方をタグボートに押してもらい、しずしずとほぼ定時の15時に着岸しました。

後続のMSC船はそれを待ちかねたかのように結構な勢いで入り、軽やかに回り始めました。

流石バウスラスター3基、スターンは2基のアジポッド船で、タグの力を借りてはいたものの、飛鳥Uと比べるとかなりの身軽さです。
船首のデッキでいつもは本船の係船作業を見守る人たちも、今日はMSC船に釘づけでした。迫力ある回頭を間近で見ることが出来てラッキーでした。
気になって後日モンテビデオ港の埠頭の様子をチェックすると、喫水の関係なのか出るのも入るのも難しそうな造りであることがわかりました。

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右舷後方には、入港の時に見えたモンテビデオの丘が見えていました。手前のレンガ造りの建物はそこそこ歴史がありそうなので、この埠頭は割と古くからあるものと思われます。
2ハイの客船を見守るように、可愛らしい警戒船がペアでやって来たのを見届けてから、入港ワッチを開きました。
部屋に戻るとバルコニーからは、泥水に浮かぶMSC船がどーんと斜めに広がっていました。
上陸が出来るようになったのは意外と早く、16時になる前に下船しました。今日はとりあえず着いた感があり、シャトルバスの運行がないため近場を散策するイメージです。案内所で地図をもらいました。
港の施設を出ると、すぐ先に旧市街(Ciudad Vieja)が広がっていて道をはさんで市場(Mercado del Puerto)があります。ちょっとだけ覗いてから夫が「何となく」新市街の方に向かって歩きだしました。
同じ頃到着したMSCから下船した乗船客はほぼブラジル人だったようで、そこら中からブラジルのポルトガル語が聞こえてきます。航程を調べたらサントス発着の定点クルーズで、このあとブエノスアイレスにも行くようでした。そこら中で記念撮影もしています。
正面からは失礼なので撮影出来ませんでしたが、マテ茶を飲んでいる人がいました。「飲むサラダ」とも呼ばれ、コップに茶葉を直接入るため、先端にフィルターの付いた「ボンビージャ(bombilla)」という専用ストローで飲まれます。
碁盤の目状の旧市街に斜めに配置された広場はサバーラ広場(Plaza Zabala)で、中心にある騎馬像がサバーラみたいです。誰かと思ったら、ポルトガル人を追い出してモンテビデオを創設したスペイン人でした。
そこから5分程歩いた先に憲法広場(Plaza Constitucion)があります。ブラジル人観光客で溢れていて活気がありました。この一角にモンテビデオ大聖堂、マトリス教会(Catedral de Montevideo Iglesia Matriz)があります。

首都の大聖堂とあらば参拝しない訳にはいけません。1804年に現在の姿になった、立派な教会でした。

教会の全景も撮影しようとしたら、広場の樹木で遮られてしまったため中途半端な絵面となりました。
そこから歩行者専用となっている小道を抜けると間もなく独立広場(Plaza Independencia)です。
その前に「シウタデラ門(Puerta de la Ciudadela、城塞門の意)」があります。かつて城塞で囲まれていた旧市街を守る要塞がこの先(独立広場のあたり)にあって、そこに入る唯一の門の跡だそうです。
門をくぐると右前にサルボ宮殿 (Palacio Salvo)があります。1928年にイタリアの建築家によって建てられた当時からしばらくの間、高さ100mは南米一を誇っていたそうです。今では他の建物の背が高くなったためそれ程目立ちませんが、一番上は光達距離100kmの灯台があったそうです。

中央の騎馬像はウルグアイを独立に導いたホセ・アルティーガス(José Gervasio Artigas)です。背後からの逆光がきつ過ぎでした。

広場の脇には国立(ソリス)劇場(Teatro Solís)があります。港でもらった地図に表示されていたので見に行くと、1856年にオープンしたという思いのほか立派な劇場でした。
17時を回ったので、そろそろ引き返すことにします。色々見たので時間がかかりましたが、大体の見どころ(主に外観)はチェック出来たと思います。もらった観光マップが思いのほか役立ちました。
旧市街の方はベースが古い建物だけあって、場所によっては見上げると室外機で大変なことになっています。
帰りは途中から一本海寄りの5月25日通り(Calle 25 de Mayo)を歩くと、チリの国旗が目に入りました、果たしてチリ大使館と書いてありました。この名前の道はブエノスアイレスにもあって、由来は同じ5月25日革命を記念しています。

同じ道にスペインとメキシコの大使館がありました。スペイン語繋がりなのか、他の国旗は見当たりませんでした。

港に戻るべく更に1本海寄りのセリート通り(Calle Cerrito)に行くと、円柱が立派で何やら荘厳な建物が見えて来ました。近寄るとウルグアイ銀行(Banco de la Republica Oriental del Uruguay)と書いてありました。
流石国家を代表する銀行の堂々たる姿でした。アルティーガス(Artigas)と書いてある銅像もあったのですが、独立の英雄と同じ人なのかはよくわかりませんでした。
銀行の角を曲がると目の前にMSCが停泊していました。銀行の反対側に歴史ありそうな船舶代理店があり、ガラスに金文字で郵船ならぬ商船三井(MITSUI O.S.K LINES LTD. TOKYO)と書いてありました。

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海沿いの道に面した銀行の裏側もかなり立派です。北側に面しているため17時半を過ぎても(南半球では)綺麗な順光でした。
最後に市場に戻ると、勤務時間を終えてこれから町に繰り出すと言った風情の寄港地デスクの人 (日本人とブラジル人)に偶然会ったので、またも(ビールを買えそうな)スーパーの場所を尋ねました。この先にあるそうです。
港の歓迎モニュメントは時計周りに12時からドイツ語、日本語、英語、歡迎、ポルトガル語、朝鮮語、スペイン語、タイ語でようこそと書いてありました。タイの人がそんなに来るのでしょうか、ちょっと意外でした。
この角度から見るとちょっと頭でっかちなMSC船を見てから、飛鳥Uに戻ります。
部屋には18時過ぎに戻り、二人とも1本ずつのビアタイムにしました。次の予定があったので写真を撮るのを忘れる程慌てて飲んだようです。
19時からはローカルショーを見に行きました。まずはカーニバルのショーで、日本にいるとあまり意識することのない風物詩を堪能しました。
次はタンゴショーです。ウルグアイでもタンゴは盛んなんだと思いきや、有名な「ラ・クンパルシータ」という名曲はウルグアイ人によって作られたことは全然知りませんでした。
最後はカンドンベ(Candombe)と呼ばれる音楽様式のショーでした。アフリカ系の人々が始めたそうで、ブラジルのサンバとちょっと感じが似ていると思いました。総勢43名によるローカルショーは大迫力で、エキスが詰まっていてとても良かったです。
今日のディナーは埼玉深谷のご夫妻のアレンジで、情報通ご夫妻と我が家とで南極の大陸ツアーとクルーズツアーの両方に参加した男性の南極談義を聞く会となっています。下世話ですが一人でということは、最低でも470万ちょっとのオプショナルツアー料金を払ったということになります。
Appetizer

鶏胸肉のエフェロシェ
Soup

アーティーチョークのスープ
From the Sea

鱈の蒸し焼き 軽く仕上げた泡のソース
Main Course

骨付き仔牛のロティ 茸ソース
タコと黒オリーブのスパゲッティ
(夫も私も両方食べました)
Dessert

無花果コンポート バニラアイス添え

南極はチャーター機で大陸まで遠征する方のツアーに興味があったので、その話を聞くことが出来て良かったです。
結局食堂の営業時間ギリギリまで粘った感じになり、部屋には21時半頃戻りました。いつの間にかブラジル人満載のMSC船は次港ブエノスアイレスを目指して出て行っており、ロイヤルカリビアンの「ラプソディー・オブ・ザ・シーズ」が後続していました。南米でこれ程クルーズがポピュラーになっているとは知りませんでした。
40分頃「DAMGRACHT」と言う名前の小さいバルクキャリアーが荷役を終えて出て行きました。オランダの船会社のバルカー(夫によると多目的だそう)です。
その後ライブラリーに赴き、今更ながらモンテビデオのガイドブックをチェックし、夕方教わったスーパーの場所を新市街の地図で確認しておきました。この「地球の歩き方」はチリとアルゼンチンとウルグアイの三点盛りだったので、買って来た方が良かったかもしれません。
ついでにネットに接続したら、夫の勤めている会社の人からメールに4月の人事異動が添付されており、「アイツが異動か」「へー、アイツはあそこに行くのか」とふと夫が仕事モードになりそうでした。
今晩はモンテビデオに停泊なので、ウシュアイアの夜以来エンジン音なしに眠ることが出来ます。
明日は朝一番にジョギングしようとしているので、頑張って寝ることにします。