3日目 11月4日(水) 
清水 入港8:30 出港17:00 
日出6:08 日没16:48 

久々の「飛鳥Ⅱで寄港する」シチュエーションに興奮したのか、あまりぐっすり眠れた感がなく7時過ぎに目が覚めてしまいました。本船はまっすぐ清水港に向かっており、バルコニーからは三保の松原の向こうにこんもりと日本平が見えています。
近付いて来る小さい船はパイロットボートです。夫はサクっと7時15分にオモテのワッチに行ってしまったので、ゆるゆると追いかけることにします。入港予定時刻は9時ですが、この感じではそれより早く着いちゃいそうです。
マスクするから化粧は割愛、と自主ルール(飛鳥Ⅱ船上では素顔で出歩かない)を破って支度をします。が、久々の入港ワッチ、持って行く物がなかなか揃えられません。
カメラを首にスマホをジーンズのポケットに、無線受信機を肩にかけて8時半にオモテの夫にジョインしました。横浜発着クルーズの寄港地としてポピュラーな清水港はこれで4回目です。

1.フォーレンダム(2014年4月13日)
2.飛鳥Ⅱウィーンスタイルクルーズ(2015年11月17日)
3.飛鳥ⅡアスカクラブクルーズNEXT(2018年1月26日)
右舷にJAMSTEC(海洋研究開発機構)の地球深部探査船「ちきゅう」が見えました。ここ清水が母港で世界最高の掘削能力(海面下10,000m)を誇ります。GPSや6機のアジマススラスター(アジポッド)を駆使して風や潮の影響を相殺して船位を保てるからこそ成しえる凄い技術です。
9時入港予定のまだ8時前だと言うのに早くも着岸のための回頭を始めました。時間が早過ぎるのかギャラリーが全くいない11Fオモテスペースです。
回頭するにつれ左舷後方に岸壁が近付き、最初は右舷後方にあった富士山が段々とオモテに回って行きました。
8時ちょうどに駿河湾フェリーの「富士」がきつい逆光の中出港して行きました。清水と西伊豆の土肥を1時間ちょっと結んでいるこのフネを見ると、駿河湾に来たな感が盛り上がります。
駿河湾フェリーは2018年に廃止の危機がありましたが、紆余曲折を経て現在も運航が続いています。港内を富士山に向かっているかのように走り、やがて右に舵を切って防波堤を交わして行きました。
定位置の着岸側ウィング上に戻ると、数名かが加わってキャプテンの操船を見物しています。一番新しい赤松船長は、かなり慎重に寄せていくスタイルです。
今回の副船長は高木キャプテンに見えますが、気のせいかスリムになったみたいです。
無線機片手にトモオモテのワッチや甲板長(ボースン)とやり取りする高木キャプテンの先に、「シズラ 清水区広報キャラクター」と書いてあるキャラカーが止まっていました。
8時15分過ぎに無事着岸したあと高木キャプテンと話したところ、コロナ自粛の影響で待機状態が続いたため、ウォーキングしまくってダイエットになったとのことでした。目の端のシズラカーについ目が行ってしまいます。
清水区のHPによると名前は清水の「シ」に方言の「ズラ」を合わせた造語で、スペルが「Shizulla」とお洒落です。フリーに使えるイラストがダウンロード出来たので、クルマと同じ次郎長姿をと思ったところ後ろ姿により趣がありました。
11カ月ぶりに客船が入港したということで、岸壁ではテレビカメラが並び誰か(後日県清水港管理局長と判明)が取材を受けているようでした。客船や乗船客にとって、かかる状況下受け入れてくれる港があるのは大変有り難いことです。
一旦部屋に戻ってから8時半過ぎに、11Fリドの朝食を食べに行きました。窓の席は片付いていて空いていますが、消毒が終わっていないためか奥の席に案内されました。
11Fのリドカフェとリドガーデンは、従来はビュッフェ方式で食べたいものを自分で取る形式だったのが、(たぶん)新型コロナの感染対策でメニューから選んで持って来てもらう方式なっています。
パンケーキとフレンチトーストがあったらフレンチトースト派なのですが、ラズベリーがあまり好きではないので今日の所はA. のパンケーキにします。カウンター越しに自分で注文する時には「ラズベリーソースをかけないで下さい」と直接言うことが出来るのですが、今の方式で面倒なことははなかなか依頼し辛いです。一方夫は「クロワッサンがうまそうだ」とC. を選びました。

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まずはセット部分の本日のサラダとスープとフルーツヨーグルトの部分がやって来ました。街中のカフェのような雰囲気のトレーと食器です。
ほどなくメイン部分のパンケーキとオープンサンドが到着しました。

美味しかったのですが、やはり早く品数の多いビュッフェ形式に戻ってほしいと思いました。
部屋に戻って岸壁を見ると、さきほどのゆるキャラ「シズラ」何とセーラー服姿で皆に愛想を振りまいていました。

これからの予定ですが、清水には様々な観光名所があるのは重々承知しつつ、ジョギングが生活の中心にあるような生活をしているため、今日も走ることにしています。
有名どころは行ったことがあるので、今回は目的地を定めず1時間ぐらい走る予定で9時40分に下船しました。

(ジョギング備忘)
2014年 三保の松原
2015年 日本平
2018年 清水駅周辺
20分程走った三保湾の一番奥のあたりに(旧清水港線の)「旧三保駅まで3000M」という立札がありました。そこで振り返ると清水と言えば「鈴与」の材木倉庫があります。「今は製材がコンテナで運ばれるのか」と夫が感慨に浸っているのは、少し前は専用船で丸太を運んで来たものを日本で製材していたからだそうです。
今まで走って来た国道150号線から左の県道に分かれ、少し行くと清水港線の廃線跡が自転車歩行者用道路になっていたのでそこを走ります。信号に遮られないのがとても良いです。
「旧三保駅まで1000M」という表示見えたので、この辺で折り返しかと思いきや夫が突き抜けて行ってしまいました。どこまで行くつもりなのか聞こうにもずいぶん先なので声が届きません。あと1kmなら、と覚悟を決めました。
「旧三保駅0M」には10時20分過ぎに到着しました。途中何度か立ち止まったとは言えここまで40分間、結構真面目に走ったと思います。
鉄子の中では私は特に廃線マニアではないのですが、かつてここに貨物がどんどん搬入されていたと思うと廃線にはやはりロマンがあります。
ディーゼル機関車DB152とタキ8453が保存展示されていました。タキについては夫のブログ「飛鳥Ⅱ30周年オープニングクルーズに乗船して(食事・寄港地編(2020年11月7日)」に説明があります。
このあと引き返すのかと思いきいや、「せっかくここまで来たのだから三保の松原行きたいだろ」と夫。15年前に初めて陸路で訪れて以来、何故か行きたくなるスポットだったのでオファーが嬉しいです。
旧三保駅跡からどうやって行くのかと思いましたが、迷うことなく5分ぐらいで御穂神社前に到着しました。私は無磁石状態になっていたので夫を尊敬することしきりでした。
ここにまたやって来られたことに感謝しつつ参拝したあとは「神の道」と呼ばれるウッドデッキの参道を松原の方に向かいました。このデッキは松の根を傷めないために整備されたそうです。
すると神の道を出てすぐ左にとても立派な建物が出来ていて驚きました。静岡市三保松原文化創造センター「みほしるべ」で、2019年の3月にオープンしたそうです。
折角なので夫を置いて中を見に行きました。入口近くにはカフェや売店があって、中は三保(の松原)のことがわかる展示館になっていました。入るための検温ついでにトイレを借りることにしました。
羽衣の松を見たあと、松原越しの富士山をチェックです。山肌から雲を噴き出したような感じになっていました。
松原の一角に海を背にしてお参りする「羽車神社」があります。先ほど参拝した御穂神社の離宮だそうで、石造りの鳥居に小さな祠というコンパクトな神社です。
御穂神社から神の道、三保の松原、羽衣の松、羽車神社とパワースポットめぐりを堪能したので、そろそろ帰ることにします。時刻は11時になりました。
近代的な「みほしるべ」の向かい側には昔ながらのみやげ物店があり、何やらホっとします。飛鳥Ⅱの乗船客目当てなのか、ここにもTVの取材クルーがいて誰かがインタビューされていました。
国道150号線にぶつかるT字路の道路標識は、左に行くと焼津と日本平、右に行くと清水港と書いてあります。東名高速道路も近く、左に行くと静岡IC、右が清水ICです。

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国道沿いに一心不乱に走り、巴川にかかる羽衣橋まで来ると残りはあと500mぐらいです。この橋の所にはかつて清水港線の可動橋(橋桁がまるごと上にあがるタイプ)がかかっていたそうです。
11時43分に岸壁の入り口に到達しました。岸壁は普段は地元の人も入れますが、コロナの予防対策で関係者と乗船客しか立ち入ることが出来ないのは寂しいことです。
復路を必死に走って来たのは12時に清掃のため1時間クローズしてしまう大浴場に滑り込むためで、10分前に飛び込むことが出来ました。
後ほど走った距離を測ってみたところ、14kmちょっとありました。普段は長くても10kmなので、久々に多く走ることが出来て良かったです。

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大浴場で汗を流し、湯船に長く浸かりたかったのはクローズしてしまうため割愛し、12時半頃5Fにゴハンを食べに行きました。寄港地の風景が窓の外に広がるこの感じが懐かしいです。

従来は1メニュー (または軽食ありの2メニュー)だった昼食は、少しずつ色々な種類を食べられるようになりました。
日課のジョギングを終えたので、堂々とフリードリンクのビールを飲むことが出来ます。ところが久々の長距離ジョギングに胃腸が驚いたのか食欲はなく、折角の鰻やステー重を回避し「何か消化の良いものを」と天麩羅うどんを選ばざるを得ませんでした。
夫も似たような状況で、海鮮ばら散らし寿司と天麩羅うどんの2つを選択しました。
うどんが思いのほかスルっと入ったので、もう一杯食べることにしました。おつゆとたっぷりの七味が疲れた身体に染みわたり、少し疲れが取れたような気がしました。
海に浮かぶフネの部屋の窓から、陸の建物が目に入るのがイイ感じです。客船寄港地ならではの景色です。
まだたくさん残っている地域共通クーポンを使うため、14時過ぎに下船してエスパルスドリームプラザに向かいました。
隣接する清水マリンパークには、先ほど廃線跡を見て来た清水港線の港で使われていたテルハクレーン(テルファーとも)が保存されています。レール上をホイスト(荷物の上げ下げ装置)が走行して船から材木を直接貨車に積み込むこの装置は、1928(昭和3年)に作られたもので、2000年に国の登録有形文化財に指定されました。

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清水と言えば「ちびまる子ちゃん」、これは写真に収めねばと思ったのですが、何度も撮り直す人がいるのを辛抱強く待ちました。
エスパルスドリームプラザに来るには初めてではありませんが、2Fに行くエスカレーターの脇にこんなにスゴい寿司のサンプルがあるとは知りませんでした。エビスサンプルという会社(現在はEBISU)の作品でHPによると「第1回世界寿司博覧会in静岡(2009年)」に出展したものだそうです。

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清水港で水揚げされたマグロは清水でツナ缶に加工され、静岡県のツナ缶製造の全国シェアは何と99%なのだそうです。それにちなんで「清水かんづめ市場」というコーナーがあったので何種類かの缶詰を見つくろい、あとはおみやげ用にツマミや菓子類を購入しました。
撮影用に巨大マグロのぬいぐるみがあったので、面倒臭そうな夫に撮影してもらいましたが、重過ぎて全然持ち上げられませんでした。
清水港から三保までは遊覧船も出ているので、次回はこれで行って東海大学海洋科学博物館を見学するのも一興かと思いました。
15時過ぎに岸壁に戻って来ました。シンガポールの長期ドックで一旦塗料を剥がしたのか、側面がピカピカなのがよくわかりました。
下船前に仕掛けていった洗濯物がそのままだったことを思い出し、洗濯場によると洗濯機の中にそのまま残っていました。乾燥機に移し替えてから部屋に戻りました。
地域共通クーポンのおかげで、色々と買うことが出来ました。缶詰以外にも清水らしいものということで、鯵の干物と生しらす(冷凍)を買ってみました。冷蔵庫の製氷室に入れておけば良いので客船は便利です。
おみやげ類を片付けた後は、改装場所を中心に船内探検に出掛けました。16時過ぎに何往復目かの駿河湾フェリー「富士」が帰って来ました。
一通り見終えた後、残った地域共通クーポンを使い切るべく、ちょっと欲しいと思っていた、本船のロゴのネックレスを売店「ペガサス」に見に行きました。出港までまだ30分近くあったのに、違う大きさの物を繰り返し試着した結果あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。
大にするか小にするか迷いに迷ったのですが、結局小(税込13,200円)に落ち着きました。欲しかったけれどわざわざ買うほどでも...と思っていたので、GoToトラベルの地域共通クーポン様様でした。

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買い物を終えて6Fでふと外を見ると出港時刻の5分前でタグがすぐそこにスタンバっていました。これは大変、ととりあえずネックレスを部屋に置きに戻りました。
時刻は出港予定の17時、バルコニーから岸壁を見えると何やら文字が書いてあります。これは高い所から見なくては、と12Fにかけ上りました。
夫もどこかで見ている筈ですが、オモテの方でお見送りの花火が上がり始めました。岸壁に水で書いてある文字(下)を見て、コロナ禍後初めてクルーズ船を受け入れてくれた関係者のことを思うと有難くて泣けてきました。4回目の清水でしたが、また来たいと思います。

「清水はどうでした?またきてね! 良い船旅を!」
花火と清水港の関係者、それからセーラー服姿のシズラに見送られ、フネはスルスルと岸壁を離れていきます。

【右の画像はクリックで拡大】
16時48分の日没と重なって、また久しぶりのクルーズとあって感動的な出港でした。2019年客船の入港数は那覇港に次いで全国2位と、今までさんざんクルーズ船の恩恵を受けておきながら「新型コロナウイルスの有効な治療法が確立されるまでの間クルーズ船の寄港を拒否」する港もある中、清水港には感謝します。
17時10分過ぎに、パイロットが右舷から下船しました。あたりはどんどん暮れていきます。
夫とは11Fで再開し、パームコートでビアタイムになりました。普段だと清水のコンビニで缶ビールを調達(又は家から持参)するので、ここで優雅に過ごせるのはフリードリンクのおかげです。
18時からは飛鳥Ⅱイリュージョンマジックショー「ANOTHER WORLD アナザーワールド」を見に行きました。
ショーが終わって部屋からワッチをしていると、入港時に見かけた地球深部探査船「ちきゅう」が、駿河湾の真ん中あたりで操業していました。長さが210mとそこそこ大きいですが、そびえ立つ掘削用のやぐらは海面から120mもあるそうです。
19時45分から、今日の夕食は和食です。それでは、とフリードリンクのアスカサケを注文しました。昼食時は弱って食欲がなかったのが、いつの間にか復活していました。
<先付>

菊菜と菊花の胡桃浸し 蕪の摺り流し
<お造り>

生マグロ 活〆鯛 烏賊のお造り盛り合わせ あしらい
<蒸し物>

苧環蒸し

「苧環蒸し=うどんの入った茶碗蒸し」ということはわかっていたのですが、苧環(おだまき)とは機織りの前の糸を巻いた物のことだと今回読み方を調べて知りました。
<揚げ物>

戻り鰹の龍田揚げ 十六酢の葱だれ
<強肴>

低温調理した和牛のすき煮包み
飴色玉葱 青梗菜 牛蒡 車麩 茸いろいろ
温泉玉子

久々の味に感涙し、「美味しいからもう1つ」とオカワリしました。
<食事>

白御飯 香の物
餅麩と豆腐の合わせ味噌汁
<甘味物>
飛鳥Ⅱ最中

ハート型の手作りはクルーの手作りで、中にはメッセージも添えてありました。クルーズ再開にこぎつけたクルー達や関係者の努力を思うと頭が下がります。【右の画像はクリックで拡大】
3泊のクルーズだと夕飯は(当たり前ですが、たったの)3回しかありません。船友ご夫妻とともに名残惜しくダイニングをあとにしました。
パッキングあるため夜遊びはせずに部屋に戻りました。徐々に欠けていっている月ですが、まだ綺麗に海原を照らしています。
帰りは詰めるだけなので22時半にはほぼ出来上がりました。トランクの方は明朝7時に出しておくとフネから運び出してもらえるので、ジョギングウェアやインフォーマルウェア等それ以降絶対に使わない物を入れておきます。
最後にもう1度露天風呂に入りたかったのですが、そこまで出掛けていくのが面倒になったため部屋風呂でガマンしました。
23時頃のGPS地図を見ると、フネは駿河湾を出て伊豆半島を大きく回ろうとしていました。外海に出ていい感じに揺れていますが、横浜がすぐそこというロケーションのため「クルーズももう終わり」感が強いです。
名残惜しくバルコニーから高く上った月や、他の船舶の灯りを眺めます。
お天気に恵まれ、思いの外沢山の距離を走って三保の松原に行くことが出来、GoToの地域共通クーポンのお陰で色々なものが買えて、色々な意味で思い出に残る清水寄港でした。