故事来歴

■土用

古代中国の思想の「世の中の全ては木火土金水の五つの組み合わせで成り立つ」という五行説を季節にも割り振ることを考え、
木−春
火−夏
金−秋
水−冬
土−???
と割り振ったら「土」が余ってしまった。しょうがないから余った「土」を各季節の最後の18〜19日に割り振り「土用」とした、というのがルーツです。土用というと夏の土用がポピュラーですが、立春、立夏、立秋、立冬の前のおよそ18日間はすべて土用です。

丑の日
「丑」は十二支の「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の丑です。年に割り振られているのと同様に日にも干支が割り振られています。(時刻にも)

土用丑と鰻
土用に鰻を食べる習慣が一般化したきっかけは幕末の万能学者、平賀源内が夏場に鰻が売れないと近所の鰻屋に相談され「本日丑の日」と書いた張り紙を張り出したところ、大繁盛したことがきっかけだと言われています。そしてこれが日本初の宣伝「コピー」だと言われています。
【2002/7】

■六十干支

1つ前に出て来た「六十干支」の説明です。

十二支と十干とを組み合わせることによって60の組み合わせが出来、これを六十干支と呼び古くからこれを年や日に割り振ることによってその年や日付が示されてきました。

六十干支は連続して割り振られているのでどこか基点になる年、日付がわかれば順に割り振ることが可能です。また、60年毎に同じ組み合わせが出現することになります。(60歳を還暦と言うのはこのため)。

2000 庚辰(かのえたつ)
2001 辛巳(かのとみ)
2002 壬午(みずのえうま)
2003 癸未(みずのとひつじ)
【2002/5】

■十干

ほら、六十干支ってあるでしょう、十二支と10個の何かを合わせたやつ。12と10の最小公倍数で60になるやつ・・・、の10個の方の説明です。

10日を一旬と呼びこの10日ごとに繰り返される日にそれぞれ名前を付けたのが始まりらしいです。現代でも「三月上旬」のように上中下旬と月を10日に分けて呼ぶのがその名残です。

十干は五行説と結びつき、5つを更に「陰・陽」→「兄(え)・弟(と)」に分けたものと対応させるようになり、「丙」一文字で「火の兄(ひのえ)」と読むようになりました。

ところで五行説
五行説とは古代の中国の思想で世の中はすべて木、火、土、金、水の5つからなるという思想。木は燃えて火を作り、火は灰から土を作る、土は金を作り、金から水ができる、そして水は木を育てるとなります。

そして陰陽説
これも中国からきた思想で、すべては「陰」と「陽」の2つに分けられるというものです。これと五行説が結びつき陰陽五行説と言われています。

ということで十干は
十干
読み こう おつ へい てい こう しん じん
五行
陰陽五行 木の兄 木の弟 火の兄 火の弟 土の兄 土の弟 金の兄 金の弟 水の兄 水の弟
読み きのえ きのと ひのえ ひのと つちのえ つちのと かのえ かのと みずのえ みずのと
【2002/5】

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