ぱしふぃっくびいなす 秋の屋久島・奄美大島クルーズ乗船記 (2009年9月21日)

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4日目 奄美大島(屋久島から154マイル) 入港7時 出港18時
7時の入港にバッチリ間に合うよう6時40分に目覚ましをかけて起床したところ、本船は予定より早く既に名瀬港でぐるりと向きを変え、出船で左舷着岸していました。今日は天気が良さそうです。

7時45分からの歓迎セレモニーに間に合わせるべく、身支度を整えてすぐに朝食に行きました。夫はいつも通り和食を、私はそろそろパンを食べたかったので洋食を選択しました。

セレモニーは時間ぴったりに行ったら8Fボートデッキの手すり前はすでに満席だったので、12Fサンデッキ(プールを囲む用に上にある部分)に行って見物することにしました。本船はこの8Fデッキの手すり沿いにテンダーの支柱やライフラフト等障害物が多いのは残念です。
本日のツアー「原生林の森・金作原散歩範囲地体験」の集合は9時ですが、地元の物産展ブースを覗くためにちょっと早めに下船しました。ギャングウェイのところではまたも船長が待っていました。物産展では黒糖焼酎に目星をつけてからバスに行って受付をすると一台目のバスは満席で、二台目のマイクロバスに乗車することになりました。
このツアーはその名の通り原生林を探検してシダ植物他の亜熱帯植物や野鳥を見る、というものですが、注意書きの所に「原生林では平坦な未塗装道路を約一時間歩きますので、安全と虫除けのため運動靴と長ズボンの着用をお勧めします」とありました。これではピンと来なかったのですが、船から5分程走った場所にある運動公園の公衆トイレで一旦バスが停車し「ここから先はここに戻って来るまでトイレはありませんのでご注意下さい」と言われ、大変な原生林に入って行くのだ、と認識しました。

二年前のサハリンでの苦い記憶から、私は「行きたくなくてもトイレには行っておく」ことにしましたが、夫は余裕で運動公園の陸上競技場などをチェックしているようでした。
車は海沿いに走った後、山の中の林道に入って50分程走った所で停車しました。ここから、歩いて原生林の中に入って行くのです。金作原は国有林で自然保護区域でもあるため、自然に手を加えることは禁止されています。
10時頃からガイドさんと共に歩き始めましたが、夜行性と言えどハブがいるかもしれないので勝手に道から外れないことと、一緒にいるべき人が迷っていなくなったらすぐに知らせるように、と注意がありました。虫避けの長ズボン着用は万が一のハブ対策もあったのかもしれません。
歩き出すとすぐに、甲高い聞いたことのない何かの鳴き声が頭の上から降り注いできます。声の主は屋久島にもいた「クロイワツクツク」だそうです。途切れることなく何匹もが同時に鳴いているので、蝉時雨ならぬ蝉土砂降り状態でした。

「クロイワツクツクの土砂降り」 170KB
シダの中で一番背の高い「ヒカゲヘゴ」がそこら中に自生していました。シダというと腰の高さぐらいのイメージですが、それを覆す10mを超す大木です。亜熱帯の気候に育まれぐんぐん上に伸びていきます。葉の生えていた部分は小判状の跡が残っています。
15分程進み、ガイドさんが「クワズイモ」の説明を始めたあたりで急に夫が真剣な顔で「ティッシュ持ってる?」「どうしたの、持ってるけど」「トイレ行きたくなった」「!!」。男性がティッシュを必要とするということは、ちょっとそこらにする方ではありません。ましてここは一歩藪に入るとハブがウヨウヨ(想像ですが)しています。
そんなことは夫も当然承知しており「バスの所まで戻ってくる」「でもトイレなかったじゃない」「とにかく戻る。あとは頼む!」とティッシュを掴むや脱兎のごとく、今来た道を走り始め、あっと言う間に見えなくなりました。
頭の上には見事なヒカゲヘゴですが、一緒にいるべき人がいなくなった状態となってしまい、ガイドさんが気づいたらどうやって夫に恥をかかせないような理由を言おうかと気もそぞろになってしまいました。
これはヒカゲヘゴの切り株です。中学の頃「植物のしくみ」で教わった「維管束」やら「導管」という言葉が頭に浮かびました。意外と覚えているものです。

巨大ゼンマイ(ヒカゲヘゴの新芽)やら、毛深い茎やら色々と面白い物がありました。そして姿を消してから20分ぐらいして漸く夫が戻って来ました。「したの?」「した」

それから一行は林道をそれて、大きな「オキナワウラジロガシ」を見に行きました。樹齢150年とも書かれており、幹を支えるため地表からそそり立つ板根が特徴です。
樫の仲間なので、ずしっと重たいこんなに大きなドングリが生ります。ガイドさんが回して見せてくれました。
ここからバスのある所に引き返すことになりました。夫は多くを語りませんでしたが、根掘り葉掘り質問した所によると、走ってバスの場所には戻ったものの、当然そこにトイレはありません。ツアー一行を散策に送り出して一息ついていた運転手さん達が、たった一人戻った夫を怪訝そうに見ていたので、急を告げ、止む無くバスの陰のアスファルト上で「キジ撃ち」したそうです。40年ぶりのキジ撃ち自体は山登りの経験から抵抗なかったそうですが、流石にハブが怖くて藪の中には入れなかったとか。
そうすると、その生産物がどういう状態で放置されたのか非常に気になる所です。「そのままティッシュをかぶせて置いてきた」「…」片付ける術はないのでそういうことになるのでしょう。そこで話は終わったのですが、ちょっとそのキジ撃ち現場を見てみたくなりました。
出発してから1時間20分位でバスの停めてある所に戻って来ました。そして夫に現場を指し示してもらおうと思ったろころ「ない…」

真相は謎ですが、ここは人為的な物を残してはならない自然保護区域、運転手さんが片付けてくれたのかもしれません。奄美大島ではハブを捕獲して届けると保健所から4,000円支給されるそうで、運転手さんがバスに積んである捕獲用の用具を使って捕獲の様子を実演して見せてくれたのですが、もしかしたらこの棒で…?
バスは金作原を後にし、名瀬港に向かいましたが私は笑いが止まりません。ティッシュの有無を尋ねた時の夫の真剣な顔や、脱兎のごとくバスに戻る姿、それから現場から忽然と姿を消したキジ撃ちの成果物や、それを知った夫の何とも複雑な表情と、どれを取っても笑えます。「奄美大島決死のキジ撃ち事件」と名付け、記憶のファイルにしっかり記録することにしました。
帰りのバスからは美しい珊瑚礁の海を見ることが出来ました。このオプショナルツアーは「この機会を逃すと二度と行けないかもしれない」という観点で申し込みました。普段植物の生態に思いを馳せることはありませんが、実物を見ながらガイドから説明を受けられるツアーは面白いと思いました。
バスは12時過ぎにフネのいる岸壁に戻りました。朝、チェックをしておいた地元名瀬の黒糖焼酎「加那」(25度)を購入してから船に戻りました。

そのまま昼食に行きました。奄美の郷土料理である鶏飯がメニューにありラッキーでした。

(左)茄子の煮返し、さつま芋のレモン煮
(右)ゴーヤチャンプル、鶏飯

ジョギングは朝トイレを借りた「名瀬運動公園」まで行くことにしました。片道3kmの道のりで、暑い中消耗しました。が1周2kmの立派なクロスカントリーコースがあったので、公園内も真面目に走ることにしました。奄美大島はスポーツの合宿地として施設の整備に力を入れているようで、ここも2008年の北京オリンピック前に野口みずき選手が走ったそうです。彼女にあやかって早く走りたかったのですが、あまりの暑さに命の危険を感じて3周の予定を辛うじて2周走ったところで止めてしまいました。
再び船に走って戻り、また15時の一番風呂に飛び込むことにしました。またも同好の士達数人と先を争って脱衣・洗髪と済ませ、身体を洗ってから一番に浴槽に入りました。

そしてさっぱりした後は、冷えたビールを喉に流し込みました。
出港まではまだ時間があるので、三度目の下船をして名瀬港旅客待合所の方に行ってみることにしました。そこにあった入港時刻案内に、鹿児島行きのマリックスライン「クイーンコーラルプラス」が20時25分、東京から志布志を経由して那覇直行のマルエーフェリー「フェリーありあけ」は21時10分と書いてありました。
出港の20分前ぐらいから、岸壁に人が集まり始め、地元の人による出港歓送エレモニーが始まりました。奄美の島唄が演奏されました。指笛の音が何とも味があります。

音楽に合わせて島踊り小さな子達まで踊っていますバスやタクシーも整列しての見送り

島唄が終わりいよいよ出港と銅鑼が鳴ると、スピーカーからは吉幾三の「奄美で待って」が流れ始めました。司会の人の名調子で「ぱしふぃっく びいなすに万歳三唱!」され、本船は汽笛を鳴らして岸壁を離れ始めました。すると司会の人が今度は「ぱしふぃっく びいなす450人の皆さん、奄美大島に万歳三唱をお願いします!」ということで「ハイ!ばんざ〜い」「バンザ〜イ」とこちらからも万歳三唱をしました。

「ぱしふぃっく びいなす出港の汽笛」 392KB
そうしているうちに、港がどんどん遠ざかりました。この温かい見送りはとても感動的で、また是非奄美大島に来たいと思わせるものでした。色々な港から出港しましたが、港によって随分と力の入れ方が違うものです。
防波堤を超えると、前方で行き足を止めて待っている綺麗なフネが見えました。夫が双眼鏡で見ると時刻表とは違う時間でしたがマルエーフェリーの「ありあけ」でした。95年出来7,910トンで、24ノットも出る高速フェリーです。
本船が港から十分離れるのを待っていたのか、本船を交わしたあと名瀬港に向かって走って行きました。

「フェリーありあけ」はこの約2ヵ月後の2009年11月13日、和歌山県新宮市沖で荒天の下急激に傾斜し、座礁してしまったのは残念なことです。この美しいフネはその後解体されました。
夫のブログ「フェリーありあけ」(2009年11月14日)
出港が18時だったため、今日は食事の1回目が18時となっていました。それにより2回目は20時となってしまい、それまでの間はちょっと時間があり過ぎでした。

20時になるのを待ちかねて、7Fメインダイニングに下りて行きました。
魚介とラタトュイユの冷製カリフラワーのポタージュ
伊佐木のポアレ
香草風味のバターソース
牛肉の赤ワイン煮込み
彩り野菜と共に
さつま芋のモンブラン

食後に8Fのメインホールを覗いてみると、すべての椅子が片付けられていて温泉旅館の大広間状態になっていました。しかも卓球台まで置いてあったので、これはやらない訳にはいきませんでした。
今晩も夜空は満天の星でした。ヒカゲヘゴを見たり、決死のキジ撃ち事件があったり、クロスカントリーコースを走ったり、それからシメに卓球までした盛り沢山の一日が終わろうとしています。